【第14回】元祖サウンドノベル──弟切草、かまいたちの夜【スーパーファミコン】

毎度、名作ゲームを紹介する連載コラム『髙橋ピョン太のおニューもレトロも』の第14回は、傑作アドベンチャーゲームの誉れ高いサウンドノベルシリーズ『弟切草』と『かまいたちの夜』をご紹介したいと思います。

あわせて黎明期のアドベンチャーゲーム事情からサウンドノベルが誕生するまでのアドベンチャーゲームの変遷についても簡単に解説します。ちなみにアドベンチャーゲームという性質上、今回のコラムではゲーム内容については、ネタバレになってしまうので極力触れないでいこうと思います。

 

 

サウンドノベルという新ジャンル誕生

 

『弟切草』は、チュンソフト(現:スパイク・チュンソフト)が1992年3月7日に発売したスーパーファミコン向けのアドベンチャーゲームです。チュンソフトは、このゲームをアドベンチャーゲームではなく、新しいジャンルのゲームとして“サウンドノベル”と名付けました。

便宜上、理解しやすいように冒頭でアドベンチャーゲームといいましたが、当時のゲームとしては確かに画期的であり、従来のゲームとはまったく異なり、これまでに経験したことのないゲームという意味でも、誰しもが納得の新ジャンルでした。

 

スーパーファミコン版『弟切草』は、タイトルからして怖い。

 

サウンドノベルは、チュンソフトの言葉を借りれば「ゲームというよりは、その名の通り音の付いた小説」であるという位置づけでした。僕らゲーマーは、そのサウンドノベルという音の響きに興味が湧き、かつタイトル『弟切草』のおどろおどろしい文字フォントと聞き慣れない植物の名前にも惹かれました。

サウンドノベル『弟切草』は、小説ジャンルでいうとサスペンスホラーものです。ゲームは(便宜上ゲームと表記します)、夕暮れの薄暗い山道を走る一台の車の中のシーンから始まります。

車を運転する主人公と、助手席で静かにしている奈美は、辺り一面に咲いている“弟切草”について語り始めるのですが、ゲーム画面は所どころ動きのある一枚絵の上に文字が表示されていくスタイルで、プレイヤーは文字を読みつつ時々出現する選択肢を選びながら、ストーリーを進行させていきます。

 

ゲーム開始直後、『弟切草』は車の中から物語がスタートする。

 

この時、ゲームはサンプリング音源方式でリアルな効果音をステレオサウンドで再現し、臨場感あふれる表現力で物語を演出してくれます。ドアを開ければ扉が開く音がし、誰かが廊下を歩けばその足音が響き渡り、稲光が光れば雷の音が鳴り響きます。

ゲームを始めてすぐに弟切草は本当に実在する植物であることをプレイヤーは知るのですが、その名前の由来を主人公に聞かされることで、弟切草という植物の持つ妖艶な雰囲気に惑わされ、気がつけば『弟切草』のストーリーの妙に引きずり込まれていきます。

そして、目の前の何やら謎めいた館に迷い込むことになるのですが……、サウンドノベルのその没入感は半端なく、恐らく当時の小学生プレイヤーは、きっと音だけで恐怖におののいていたに違いありません。

 

なんとなく恐ろしげな弟切草の群生……。

 

サウンドノベルは、従来の小説やアドベンチャーゲームと異なり、主人公の取る行動を選択肢の中からプレイヤーが選び出すことによって、ストーリーの流れが変化し、決定していくマルチシナリオシステムという仕組みを持ちます。

また、マルチシナリオシステムは一度エンディングを迎えたあと、それまでの話の展開の幅が広がっていく仕様になっており、これまでの分岐点にさらに選択肢が増えるなど、同じゲームを繰り返し遊べるように異なるストーリー、異なるエンディングが楽しめるようにもなっています。

 

ストーリーの分岐点で選択肢が表示されたら、自分の思うほうに進もう。

 

マルチシナリオシステムに、リアルなサウンドとストーリーの挿し絵となる超美麗なグラフィックがあいまってストーリーが進行する『弟切草』は、まさにサウンドノベルという名にふさわしく、当時は明らかに最先端だったスーパーファミコンというゲーム機の新たな可能性を感じさせてくれるものでした。

この頃、『弟切草』をプレイして真っ先に感じたのは、「さすがチュンソフト」という印象でした。『弟切草』は、チュンソフトの記念すべき自社ブランド第1弾作品です。チュンソフトは、あの『ドアドア』や『ニュートロン』を作った中村光一さんが立ち上げた会社で、かつ堀井雄二さん原案の『ドラゴンクエスト』を実際にプログラミングした開発会社としても知られる有名な頭脳集団でした。

こんな解説はレトロゲームファンにはいらないかもしれませんが、当時の『弟切草』はそれだけの期待感を持ってゲーマーが待ち望んでいたということをお伝えしておきたいですね。中村光一さんは、次は何をやるんだろうという雰囲気がゲーム業界全体にあったのを覚えています。

 

サウンドノベルの気になる小説部分

 

さて、サウンドノベルというからには、気になるのは小説の部分ではないでしょうか。チュンソフトは、『弟切草』の脚本と監修に脚本家の長坂秀佳さんを起用しました。氏は、テレビ番組でおなじみの『帰ってきたウルトラマン』『人造人間キカイダー』『特捜最前線』などの脚本を多数手がけていたほか、ミステリー小説『浅草エノケン一座の嵐』で第35回江戸川乱歩賞を受賞するなど、ベテランの脚本家、放送作家、小説家として有名な方です。

脚本家としての長坂秀佳さんは、筆が非常に早く、30分もののテレビドラマの脚本を1日数本、1週間で12本執筆したという逸話を持つ、その筋ではすごい人であると評判でした。そんな氏が『弟切草』の開発に参加されたのには訳がありました。

 

『弟切草』の脚本スタッフとなった氏は、「“あッ”という作品になった、と自負している」とゲームのマニュアル内にて感想を述べています。「ドラマ屋」の氏にとってゲームソフトは長年の憧れの地であり、新アメリカ大陸だったといいます。「ああ、あそこでドラマがやれたらな」と、誰よりも先んじて一番乗りで果たしたい夢だったそうです。氏は大航海時代のコロンブスとなり、一番の開拓者となって、これまでのゲーム主体からドラマ主体へとソフトの流れを変えたい、ゲームソフトでドラマを語りたいと思っていたといいます。それができたら、歴史は塗りかえられ、ゲームソフトは現在のテレビ・映画・文学以上の興奮と感動を与えるメディアに発展するだろうと考えていたそうです。

そんなおりに中村光一さんを始めとするチュンソフトのメンバーに出会った氏は、彼らを自分の思いが通じる同志として見ていたといいます。その出会いが、「ドラマ」と「頭脳」が手を組んだ日本一のスタッフ編成となった瞬間であり、自身の信念も実現に向かったとのちに語られています。

チュンソフトと長坂秀佳さんの出会いには、もう少しドラマチックなエピソードがあります。それには当時のアドベンチャーゲーム事情も関係するため、ここからはちょっとだけ『弟切草』の話から脱線し、アドベンチャーゲームの歴史の話をしたいと思いますのでご了承ください。もしかしたらアドベンチャーゲームの歴史の話なんて聞きたくない人もいるかもしれないので、ここではアドベンチャーゲームチックに選択肢といってみましょう。

 

①アドベンチャーゲームの歴史を読む ②弟切草の話の続きを読む ※②を選んだ人は、Ctrl+”f”キーで検索窓を開き「②弟切草」を入力して検索ジャンプ

 

①アドベンチャーゲームの歴史を読む

 

アドベンチャーゲームの祖は、なんだかご存じでしょうか? それは、ウィル・クラウザー(William Crowther)さんが1975年にARPANET(インターネットの前身)に接続されたPDP-10上に作った『Colossal Cave Adventure(コロッサル・ケーブ・アドベンチャー)』といわれています。PDP-10はミニコンです。『Colossal Cave Adventure』はテキストのみのゲームです。

 

元祖アドベンチャーゲーム『Colossal Cave Adventure』のオープニング画面。
(出典:Wikipediaパブリックドメイン)

 

このゲームは、氏の娘さんのために作ったといいます。そしてこのゲームを、のちにスタンフォードAIラボ(SAIL)で働くドン・ウッズ(Don Woods)さんが、1976年にSAILのコンピューター上で偶然発見し、ウィルさんの許可をもらって改良し拡張します。作家トールキンのファンだったドンさんは、『Colossal Cave Adventure』にエルフやトロールなどを登場させるファンタジー要素を追加し、公開します。それが功を奏し、瞬く間にネットワーク上に広まり、『Colossal Cave Adventure』は多くのファンを生み出すことになりました。

その後、このゲームは長年にわたって様々なコンピューターに移植され、いろいろなバージョンを誕生させることになります。そしてこのゲームこそが、当時のプレイヤーに“Adventure”と呼ばれていたこともあり、ゲームジャンル誕生の由来になったといわれています。

 

1985年にコモドール64用に移植された『Colossal Cave Adventure』(Duckworth Home Computing)

 

さてさて、みなさま。テキストアドベンチャーの祖は何かという質問で、『Zork(ゾーク)』というゲームを思い浮かべた人もいるのではないでしょうか? 『Zork』は1980年にインフォコムという会社が『Zork I』『Zork II』『Zork III』の3部作をTRS-80とApple II向けに発売し、その後は当時の主要コンピューターほぼすべてに移植されるほど人気となったテキストアドベンチャーゲームです。

実は、この『Zork』も元はマサチューセッツ工科大学(MIT)にて、1977年から1979年にかけてティム・アンダーソン(Tim Anderson)さん、マーク・ブランク(Marc Blank)さん、ブルース・ダニエルズ(Bruce Daniels)さん、デイヴ・レブリング(Dave Lebling)さんらのチームによってPDP-10上で作られました。チームメンバーは、ハッキリと前述の『Colossal Cave Adventure』に感化されて『Zork』を作ったと語っています。

最初の『Zork』は販売こそされませんでしたが、その後、チームのメンバーの一部とMITの教員らは『Zork』の開発を続けられるように、共同でインフォコムを設立します。そして『Zork』をパソコン向けに移植するのですが、当時のパソコンのスペックでは『Zork』をすべて入れ込むことが難しかったことから、それらを3部作に分割をして発売します。ちなみに『Zork I』は別の会社より公開されましたが、すぐにインフォコムは権利を買い戻し、自らパブリッシングを始めるのでした。

 

当時の『Zork I』マニュアル表紙。

 

Apple II版『Zork I』のゲーム画面。

 

では、初めてアドベンチャーゲームに絵が付いた作品はご存じでしょうか。それはオンラインシステムズ(のちのシエラ・オンライン)が1980年に発売をした『ミステリーハウス(Mystery House)』です。『ミステリーハウス』もまた、『Colossal Cave Adventure』の影響を受けたゲームのひとつでした。

 

オンラインシステムズを設立したケン・ウィリアムズ(Ken Williams)さんは、当初はApple II用の企業向けソフトウェアの会社を立ち上げようとしていました。ある日、彼は会計プログラムの開発に取り組もうとテレタイプ端末を自宅に持ち込んだのですが、そのとき『Colossal Cave Adventure』が載っているカタログをたまたま目にして、その後、妻のロバータ・ウィリアムズ(Roberta Williams)さんとそれを遊んでみたところ、こんなゲームはこれまでの市場にはないなと感じたといいます。そこですぐに、これなら自分たちでも作れると思い立ち、ロバータさんはアガサ・クリスティの小説『そして誰もいなくなった』からインスピレーションを得て、『ミステリーハウス』のプロットを考案し始めました。

同時にボードゲームの『Clue(クルード)』からもヒントを得ているといいます。そして、彼女自身もある程度のプログラムは書けるのですが、難しい部分は夫のケンさんが手伝うことになり、彼女はゲームデザイン・脚本・イラストを担当し、『ミステリーハウス』が完成します。

 

その後、オンラインシステムズはシエラ・オンラインという社名に改名し、『ミステリーハウス』を始めとする数々のゲームをヒットさせて、グラフィックアドベンチャーゲームの祖となったのはいうまでもありません。

 

1980年に発売されたApple II版『ミステリーハウス』のゲーム画面。

 

こうして1980年代の初めには、アドベンチャーゲームというジャンルがゲーム市場にて確立していきます。もちろん日本の市場も例外ではありません。

たとえば、テキストアドベンチャーゲームであれば、『月刊アスキー』1982年4月号綴じ込み付録である『年刊AhSKI!』2号に掲載された『表参道アドベンチャー』、翌年の『年刊AhSKI!』3号に掲載された『南青山アドベンチャー』がありました。ちなみに『年刊AhSKI!』というのは、毎年エイプリルフールに合わせて発刊された『月刊アスキー』のパロディ版です。この2本のゲームはパロディ版に掲載されたプログラムですが、実際に遊べたということで、あまりにも有名です。これらは、国産アドベンチャーゲームの草分け的存在になりました。

 

 

『南青山アドベンチャー』が掲載された『年刊AhSKI!』3号(アスキー出版。現:角川アスキー総合研究所)

 

写真は、PC-8001版『南青山アドベンチャー』のゲーム画面。

 

また、グラフィックアドベンチャーゲームの分野では、マイクロキャビン(旧:マイクロキャビン四日市)が1982年にMZ-80B用に発売した『ミステリーハウス』(シエラ・オンラインとは異なるゲーム)や、ハドソンが1983年に発売した『デゼニランド』、1984年に発売した『サラダの国のトマト姫』などが大ヒットします。堀井雄二さんが1983年にエニックス(現:スクウェア・エニックス)から出したPC-6001版用の『ポートピア連続殺人事件』もまた、注目の作品となり大ヒットしました。この時期は、様々な会社から多くのアドベンチャーゲームが登場し、それぞれがヒットしています。

 

しかし黎明期のアドベンチャーゲームには、欠点もありました。テキストアドベンチャーもグラフィックアドベンチャーも、当時のコンピュータースペックの限界から、あまり賢い対話ができず、結果、単純に単語を探し出すことがメインのゲームになってしまった感がありました。解となる単語が思いつかないと永遠にゲームが解けないということもあり、やがてアドベンチャーゲーム自身が飽きられ始めます。

それを打破するかのごとく誕生したのが、堀井雄二さんがシナリオを手がけたアドベンチャーゲーム第2弾作品『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』でした。同ゲームは、1984年にログインソフト(アスキー)からPC-6001版とPC-8801版が最初に発売されます。

 

『オホーツクに消ゆ』は、コマンド選択方式を採用しました。それによりプレイヤーは単語をいちいち探索することなく、その場面で使用可能なコマンドをメニューから選択するだけでストーリーを進行することができるようになりました。これは、実はアドベンチャーゲームにおいては画期的な発明であり、それまでの煩わしい単語探しという行為がまったく不要になり、プレイヤーは安心してアドベンチャーゲームのストーリーのみを楽しむことができるようになりました。『オホーツクに消ゆ』以降のアドベンチャーゲームが、ほぼこのコマンド選択方式になってしまったことを考えると、堀井雄二さんが一気にその後のアドベンチャーゲームの様式を確立してしまったといっても過言ではない発明でした。

 

PC-8801版『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』のゲーム画面。右側がコマンド選択方式のメニュー。

 

このコマンド選択方式が発明されたことで、その後ファミリーコンピュータなどの家庭用ゲーム機でも、アドベンチャーゲームが楽しめるようになったともいえるわけです。だいたい、家庭用ゲーム機のコントローラで毎回従来のアドベンチャーゲームのように文字を入力しなければならないゲームなんて、想像してみたら恐ろしい手間ですよね。

その後、『ポートピア連続殺人事件』もファミコン版ではコマンド選択方式が採用されます。また、『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』もファミコンに移植されました。

 

『ポートピア連続殺人事件』オリジナル版はテキスト入力だったが、ファミコン版はコマンド選択方式。

 

こうしたアドベンチャーゲームの歴史があったからこそ、のちにサウンドノベルも誕生することになるんですよね。

さて、ここからまたチュンソフトの話に戻したいと思います。

 

自社ブランドでもゲームを出す計画を立てたチュンソフトは、当初はRPGを作成しようと検討していたそうです。『弟切草』のプロデューサーでありディレクターである中村光一さんは、シナリオなどを担当する麻野一哉さんと話し合った際に、麻野さんが『表参道アドベンチャー』や『南青山アドベンチャー』のようなテキストアドベンチャーの案を発案します。

当時のチュンソフトは、別ラインで『ドラゴンクエストV』を開発していたこともあり、プログラマーやグラフィックを担当するスタッフが少なかったのです。その部分の労力は極力避けつつ、スーパーファミコンの特性をいかすにはどうすればいいかと考えた結果、スーパーファミコンの音源の性能をいかしたサウンドノベルというアイデアが出てきたんだとか。当時のことを、のちの『かまいたちの夜×3 三日月島の真相 完全攻略本』にて語っています。

また、麻野さんはコマンド選択方式のアドベンチャーゲームについても言及しています。コマンド選択方式は文字の入力が省けるが、行き詰まるとゲームの先に進めずにそれがストレスになるといいます。確かに当時は、総当たりですべてのコマンドを試してみるだけのアドベンチャーゲームも少なくありませんでした。当時の麻野さんは、ボタンを押すだけで先に進めるようなアドベンチャーゲームにしたいと考えていたといいます。

 

②弟切草の話の続きを読む

 

チュンソフトの自社ブランドゲーム第1弾は、アドベンチャーゲームに決まりました。

シナリオなどを担当することになった開発メンバーの麻野一哉さんは、スーパーファミコンの音源の性能をいかしたアドベンチャーゲームならば、音源の効果を発揮するには恐怖を演出するのがよいだろうと考え、ジャンルをサスペンスホラーに決定し、密室空間を舞台にするのが向いているのではないかと、「館」という仮題でゲームの制作を開始します。

最初は、麻野さん自身がストーリーを書きながらゲームを開発していくのですが、シナリオの分岐が多くなるにつれて、麻野さんだけでは書き切れないと判断し、急遽シナリオライターを起用する方向に方針をシフトします。そこで出会ったのが前述の脚本家である長坂秀佳さんだったといいます。

 

長坂さんがシナリオを引き受けた段階で、ゲーム案はすでに『弟切草』というタイトル、弟切草の花言葉である「復讐」がテーマ、男女二人が「館」に迷い込むという設定が決まっていました。

長坂さんは仕事を引き受ける際に、中村光一さんからタイトルも中身も変更していいといわれますが、脚本家として百戦錬磨の長坂さんは、「名刺代わりにお膳立ては使って見せる」と断言し、タイトルはもちろんのことそれまで麻野さんが書いたシナリオを原作とし、それらに変更を加えながら、ゲーム画面に登場するアイテム等もすべて使った上で様々なアイデアを脚色していったといいます。『弟切草』をプレイしたことがある人ならわかると思いますが、その結果があのゲームですから、その仕事っぷりは素晴らしいとしかいいようがないですよね。

しかも長坂さんは、ギャグやパロディを追加したほか、ちょっぴりセクシーな表現も加えます。長坂さんのこうしたアイデアは、「ピンクのしおり」へと発展します。オートセーブの『弟切草』は、何度も繰り返しプレイし、すべてのシナリオ、エンディングをプレイすることで、自分のしおり(セーブデータ)がピンク色になるという仕様になっています。ピンクのしおりになると、ちょっぴりセクシーな『弟切草』が遊べるというおまけつきなのです。

 

『弟切草』のしおり。ピンクのしおりを目指そう。

 

こうして、サウンドノベル第1弾『弟切草』は、無事に日の目を見ることになり、大ヒットしたことはいうまでもありません。

 

サウンドノベル第2弾『かまいたちの夜』

 

『弟切草』発売の2年後、1994年11月25日にサウンドノベル第2弾『かまいたちの夜』が発売になります。『かまいたちの夜』もまた、スーパーファミコン版です。

 

スーパーファミコン版『かまいたちの夜』のタイトル画面。

 

『かまいたちの夜』は、ミステリー作品です。『弟切草』発売後、世間はホラータッチのものよりもミステリーものを希望する声が多かったといいます。そこで第2弾はミステリーをテーマにしようということになり、作品の開発が始まります。開発には、脚本家として推理作家の我孫子武丸さんが参加します。我孫子さんは、『8の殺人』『人形はこたつで推理する』など数多くのシリーズもの推理小説を執筆する有名なミステリー小説家です。

当時のチュンソフトは、アンケート目的で『弟切草』を代表的なミステリー小説家さんにモニターとしてお送りしていたんだそうです。その中の一人に我孫子さんがいたというのですが、しかし、我孫子さんはモニターになる前からすでに『弟切草』をプレイしており、そればかりかゲームファンでもある我孫子さんは、中村光一さん作品を『ドアドア』のころからやっていたというゲーマーでもあったそうです。そんなこともあって、モニターとして参加した我孫子さんは、それが縁でチュンソフトから新しいゲームの脚本の依頼があり引き受けるのですが、それがサウンドノベル第2弾のお話だったそうです。

我孫子さんは、仕事を引き受けたのはいいが、まさかゲームのシナリオすべてを書くとは思っていなかったとのことでした。気がつけば2年間も制作にお付き合いしたというのだから、すごい話ですよね。それどころか、その後の作品にも我孫子さんは参加することになります(笑)。

『かまいたちの夜』のタイトルは、我孫子武丸さんが小学生の頃に見ていた『怪奇大作戦』というテレビドラマのエピソードのひとつに人間が一瞬でバラバラになる事件「かまいたち」という話があり、事件の原因がかまいたち現象だったというのを覚えていたことから、そのようなタイトルになったと語っています。

 

ゲームは、真冬の雪山のペンションにて起こる不可解な殺人事件の謎を解くことが目的です。もちろんサウンドノベルですから、本作も効果音が抜群にリアルな作品です。どちらのサウンドノベルにも共通するのは、登場人物の絵が描かれていないという点なのですが、『かまいたちの夜』が『弟切草』と異なるのは、人物がシャドウで描かれているところです。それでもシャドウですから、『かまいたちの夜』もまた、登場人物の雰囲気はプレイヤーの創造力に任されます。

 

ゲームでは、主人公と恋人(?)の名前を変えることもできる。

 

中村光一さんは、ある雑誌のインタビュー記事で、「『かまいたちの夜』では実写取り込みの美しさと半透明のシャドウが表現するリアリティを感じてほしい」と語っています。ゲーム画面は今までにはない表現方法になったのではないかと述べています。

『弟切草』と『かまいたちの夜』を比べてみれば、絵のタッチ自体も異なります。『弟切草』の段階では、絵はまだファミコン時代のようなゲーム風の面影がありますが、『かまいたちの夜』ではそれが実写取り込みに近い写真風のタッチに変わりました。いわゆるマルチメディア作品を意識した作風になりました。

 

誰かのいたずらだろうか? 怖いメッセージが投げ込まれる。

 

これも中村光一さんがある書籍のインタビューで発言していたのですが、一時期、スーパーファミコンにも周辺機器としてCD-ROMドライブが出るという計画があると聞かされ、もし将来ゲーム機がCD-ROMやDVD-ROMなどで大容量になったらどんなゲームがいいのかと考えたときに、素直に容量を使うゲームがよいと考え、今後のゲーム展開のことも考えて『かまいたちの夜』では実写のようなゲーム画面を選択したと語っています。

 

ネタバレになるので詳しくは書きませんが、これはアナザーシナリオです。

 

なんと、『かまいたちの夜』のゲーム中に『弟切草』が出てくる……。

 

30周年記念に発売された宝島から発売された『かまいたちの夜 30th ANNIVERSARY BOOK』には、ペンション「シュプール」のキーホルダーとアクスタが付属。これでかまいたちの夜ごっこが可能に。

 

最後に、漢字の話

 

ちょっとアドベンチャーゲームへの思いが強すぎて、サウンドノベルについて語りたくて余計なことをたくさん書いてしまいました。しかし、サウンドノベルは1日にしてならず、アドベンチャーゲームの変遷あってのサウンドノベルなので、こうした歴史はぜひ覚えておいてほしいのです。

 

また、『弟切草』と『かまいたちの夜』は、スーパーファミコンにしては非常に多くの漢字を表示している点も忘れてはなりません。パソコンやゲーム機で漢字を表示することは、当時のハードウェアスペックでは大変だったことが忘れられがちです。現在のパソコンやスマートフォンは、普通に漢字が表示できちゃいますが、スーパーファミコンで漢字を表示するには漢字そのものドットデータをゲームのROM側に持っていなければ表示ができないんです。

しかもスーパーファミコンでは漢字のデータから作る必要があります。ちなみに『弟切草』には427文字の漢字データが登録されています。『かまいたちの夜』では、さらに文字数は増えるのですが、この涙ぐましい努力があってのサウンドノベルなのです。ノベルがひらがなやカタカナだけじゃ、それだけで興ざめですよね。というわけで、ゲーム機で初めてここまで漢字を表示できたのはサウンドノベルが最初なのではないでしょうか。スーパーファミコン用のゲームでは、光栄(現:コーエーテクモゲームス)の『スーパー三國志II』や『スーパー信長の野望 武将風雲録』で、登場人物の名前やコマンドなどに漢字が多く使われていますが、それでもメッセージなどには漢字が使われていません。

 

『弟切草』の漢字入力画面。自分の名前にも(該当する文字があれば)漢字が使える。

 

『かまいたちの夜』の名前入力画面。漢字の数が増えました。

 

本当に長くなってすいません。『弟切草』や『かまいたちの夜』も様々なゲーム機に移植されながら、新シナリオ、派生シナリオ、続編などが続きます。シリーズ30周年記念に発売されたNintendo Switch版『かまいたちの夜×3』では、『かまいたちの夜』シリーズ第3作が現役で遊べます。

 

Nintendo Switch版『かまいたちの夜×3』は、シリーズ三作が遊べてお得。

 

そしてサウンドノベルは『かまいたちの夜』後、『サウンドノベル 街 -machi-』、『街 〜運命の交差点〜』、『428 〜封鎖された渋谷で〜』へと、より実写化、ドラマ化された作品につながっていきます。これらはいずれまたアドベンチャーゲームのお話の続きとして解説したいと思いますので、お付き合いよろしくお願いします。では、また。

 

名作『サウンドノベル 街 -machi-』もいつか紹介したいですね。

 

『428 〜封鎖された渋谷で〜』は『街』のその後の世界。

 

©Spike Chunsoft

©1994 我孫子武丸/ピンポイント

©1979&1980 INFOCOM,INC.

©1979 Sierra On-Line

©1982 ASCII publishing

©SQUARE ENIX

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著者紹介
髙橋ピョン太

1980年にフリーでパソコン用ゲーム開発を開始。『ボコスカウォーズ』PC-8801版の移植の仕事をきっかけにアスキー専属プログラマーになり、80年代前半~90年代にアスキーのパソコン雑誌『ログイン』の編集者に転向。
その後は、どっぷりと編集につかり、『ログイン』6代目編集長を経て、ゲーム、IT系ライターとなり、現在に至る。Xではレトロなハードやゲームについてつぶやいています。
髙橋ピョン太のX(https://twitter.com/pyonta)

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