営業職の方には頭が下がる思いです。
どんな会社でも優秀な営業マン無くては安定した経営は難しいでしょう。
80年代中期以降のアルファ電子・ADKは営業力の弱い会社でしたが、それでも一時期は営業部がありました。
今回の『知られざるアルファの世界』は営業周りのお話です。
◆ 鳩野さんにもうちょっと聞いてみました! ◆
・70年代から80年代はアミューズメント業界とヤクザのつながりが強かった時期だと思います。なぜ『スパークシックス』が社員の大量離脱につながったのでしょうか?
『スパークシックス』の時の話は私も伝説のように聞いたレベルなのですが、なんでも会社にヤクザの方々が来るようになったそうです。
それで怖くなって辞められたというのは ごく自然な流れだったのではないでしょうか。
・営業部が消滅したままだった理由は? また、のちに営業部を復活させた理由は?
営業部があると何も売る物が無い時期でも その分の人件費が発生するというのが理由として大きかったようです。
また、アーケードのゲーム基板(NEO-GEO関連も含めて)なら新井社長の人脈で何とかなっていたという事もありましたね。
ただ それはアーケード業界に限った話で、新規に立ち上げた未来ソフトという部署のPlaystation用オリジナルゲームや、T4-X基板(東芝製の4ビット基板)を使った万歩計などを売りさばく為には やはり営業力が不可欠でした。
・なぜ鳩野さんをはじめ、開発スタッフも営業に出たのでしょう?
セガサターン版の『ティンクルスタースプライツ』の開発終盤という大事な時期にスタッフ自ら営業回りに出向くというのはハッキリ言って異常事態ですよね(笑)。
これには理由が大きく3つあります。
1つ目は1997年当時、ADKは大量リストラを敢行していて営業部が消えてしまっていた関係。
※1名だけ営業人員は残りましたが、他の仕事もあって あまり頼れない状況下でした
2つ目は、各部署ごとに『能力査定』という良く分からないシステムを会社が採用していて、チーム間が険悪になりつつあり、手が比較的空いている人員の貸し借りが難しくなっていた為。
最後はチーム内の人数が5人しかいなかった為、その時点で動けるスタッフが限られていた事。
これらの条件が合わさった結果、私とメインプログラマーの2名が行く事になりました。
・90年代後半の秋葉原といえば、メッセサンオー、ラオックス、ソフマップ、サトームセンなど、さまざまなショップがひしめいていた時期です。どこか印象に残ったショップはありますか?
どこも親切に対応して頂きましたが、メッセサンオーさんは印象に強く残っていますね。