以前お話しした『没ゲーム』で紹介しきれなかったアルファ電子・ADKの没ゲームを語りたいと思います。
今回のゲームたちは前回のものに比べて”没になるべくしてなった”という感が強いです。
いずれも爽快感の欠落という点は共通して言えますが、『何がそのゲームの弱点となり得るか』を企画書の中から見つけ出すのも企画会議の重要なポイントだと私は思っています。
その辺り、当時は企画部全員 経験値不足で弱かったですね。
◆ 鳩野さんにもうちょっと聞いてみました! ◆
・『サンシャイン』はいつごろの企画でしたか?
『ラギ』が走っていた頃なので1990年から始まった企画でした。
・“シューティング要素を持ったパズル”は最終的に『ティンクルスタースプライツ』につながるわけですが、新井社長はなぜその企画にこだわったのでしょう? また、別のところで同様のこだわりを見せたことはありますか?
あくまでも”新井社長の中”では『サンシャイン』(“シューティング要素を持ったパズル”)も『ティンクルスタースプライツ』(“パズル要素を持ったシューティング”)も同一ライン上に展開していたゲームでした。無論、『サンシャイン』を知らない世代の開発スタッフにとっては”そんなん知らんがな”の世界なのですが(笑)。
アルファ電子~ADKは他の会社にゲームを売って頂かなくてはならない会社でしたので、その販売メーカーとはネタが被らない事がとても重要でした。
ですから、他社と絶対に競合しない企画、ゲーム性、システム、デザインという点については、他のゲームに於いても一貫して重視されていましたね。
・『リバティーベル』がスタンダード過ぎた…というのはゲームのルールがほかのタイトル(『ぷよぷよ』?)と変わりばえしなかったということですか?
そうですね、お世辞にもあまり独自性とかは感じられないゲームデザインでした。
・『リバティーベル』が予算面で頓挫するとはどういうことでしょうか?
ネオジオCDは数量が出ない事に加え、サードパーティーに入る利益が他の『次世代機』と当時呼ばれていたハードに比べて少なかったんです。
その為、赤字にならないようにするには人件費があまり掛けられないという台所事情がありました。
大幅手直しをしなければならない『リバティーベル』を見送らなければならなかった事情はそこにあります。
『ADKワールド』の企画書に削除のばってんが付けられている資料もアップしておきます。
▲これがネオジオCDソフト『ADKワールド』の企画原案。はじめはディスクマガジンとして考えられていたんですね…。
・『GANGAN~』が修羅場確定だったのはなぜですか?
ADKではゲームを1本作るのに、企画からマスターアップまで大体10ヵ月前後掛けていました。
それを『痛快GANGAN行進曲』は6ヵ月~7ヵ月の間でやろうとしたんです(実際、約6ヵ月半掛かりました)。
この為、修羅場が確定とラインが始まる前から容易に推測できました。
・『BOBOMB!』に関わったメンバーは結局どうなったのでしょう?
『BOBOMB!』は『痛快GANGAN行進曲』のラインが終わるのを待つかのように、ほぼ同時期にラインが終焉しました。
『BOBOMB!』のチームは解散後、スタッフはいろんなチームへ配属されていきました。