【第12回】あのカラテカと同じ製作者──プリンス・オブ・ペルシャ【スーパーファミコン】

毎度、名作ゲームを紹介する連載コラム『髙橋ピョン太のおニューもレトロも』の第12回は、超個性派アクションゲーム『プリンス・オブ・ペルシャ』と、そのゲームシリーズにまつわるお話をしたいと思います。今回はスーパーファミコン(以下、スーファミ)版『プリンス・オブ・ペルシャ』のお話をきっかけに、シリーズの歴史をひもといていきます。

 

 

『プリンス・オブ・ペルシャ』は、すでに人気のゲームだった

 

 スーファミ版『プリンス・オブ・ペルシャ』は、1992年7月3日にメサイヤ(当時は日本コンピュータシステムのゲームブランド)から発売されました。『プリンス・オブ・ペルシャ』は、実はパソコンゲームがルーツです。元々は、米国のブローダーバンドが1989年10月3日にApple II向けに発売した『Prince of Persia』がシリーズ最初の作品です。

 

スーファミ版『プリンス・オブ・ペルシャ』のタイトル画面。

 

最初のApple II版『Prince of Persia』は、それほど売れなかったといいます。もっともそれはゲームに問題があるわけではなく、すでにApple IIの市場がシュリンク(縮む)していたことが理由でした。その後1990年に、Amiga版、Amstrad CPC版、Atari ST版、IBM PC版が発売されると、瞬く間に『Prince of Persia』は大ヒットとなり世界的に人気のゲームへと成長します。

 

Apple II版『Prince of Persia』のタイトル画面。これがオリジナル。画面のにじみがレトロ。

 

Apple II版のゲーム画面。Apple II用のゲームとしては、かなり画期的かち美麗な画面。

 

Amiga版は、オリジナルと比べてかなりの高精細グラフィックへと進化。

 

日本でも1990年7月20日にPC-9801版が移植され、ブローダーバンドより発売されています。その翌年4月にはX6800版が登場、11月にはなんと家庭用ゲーム機PCエンジンSUPER CD-ROM2版がハドソンの開発でリバーヒルソフトから発売になりました。

 

PC-9801版のゲームプレイ画面。かなり画面はきれいになっています。

 

PCエンジンCD-ROM2版のゲーム画面。

 

そんな経緯から、スーファミ版『プリンス・オブ・ペルシャ』が出る1992年7月には、その面白さはすでにゲームファンには伝わっていました。ですので、スーファミ版は家庭用ゲーム機しか持っていなかったゲームファンには待望の1本でした。ちなみにほぼ同時期にゲームボーイ版もメサイヤから発売されています。

 

超個性派アクションゲーム『プリンス・オブ・ペルシャ』はどんなゲーム?

 

では、なぜ『プリンス・オブ・ペルシャ』は、そんなにも人気だったのでしょうか。ちょっと当時のファミコン通信の記事を見てください。

 

記事「徹底攻略」より引用(出典:ファミコン通信1992年6月19日号 p.21)

 

この記事は、ゲーム発売直前のファミコン通信のものです。リードに「キモチのいい動きに目を奪われる」とありますね。「アニメーションのできがサスガなのだ」と書かれています。「華麗なアクションにドキドキしよう」ですよ。いうなれば、当時のゲームはドット絵です。現在のようにコンピューターがリアルタイムにレンダリングしてCGとして表示しているんじゃないんですよね。オールドット絵でコマ割りも丁寧で、こだわり抜いて作成されたデータを駆使してアニメーションさせているんですよね。

当時、僕らは初めて『プリンス・オブ・ペルシャ』を見たとき、「何、このクネクネ、フニャフニャ動くゲームキャラ!?」と驚きました。ちょっと伝わるかどうかわからないけど、たとえると、紙芝居しか見たことがない子供がいきなりディズニーアニメを見せられたような衝撃でした(紙芝居にも良さはある)。恐ろしいほど動くゲームキャラに感動しました。今ならモーションキャプチャーという技術がありますが、まだCGの技術がそこまで発展する前のお話ですからね。それは、もう、これ何なんだ? という雰囲気を全面に醸し出していました。

ちなみに、ファミコン通信名物のクロスレビューの『プリンス・オブ・ペルシャ』の点数も高かったです。

 

記事「クロスレビュー」より引用(出典:ファミコン通信1992年7月10日号 p.37~p.38)

 

ご覧の通り、アーケードゲームで大人気の『パロディウスだ!〜神話からお笑いへ〜』と同じ点数というのを見ても、かなり期待されていたゲームだったということがわかるでしょう。

というわけで、なぜ『プリンス・オブ・ペルシャ』のアニメーションはすごいのかという技術の話をする前に、ちょっとだけ『プリンス・オブ・ペルシャ』はどんなゲームだったのか、その中身についても、お話しておきたいと思います。

『プリンス・オブ・ペルシャ』のゲームの世界観はアラビアンナイト、日本語では千夜一夜物語とも訳されますが、そうした印象に近い設定です。

中世ペルシャを舞台に、プレイヤーは名前のない主人公を操作して一連のトリッキーな城内(?)を冒険し、邪悪な大宰相ジャファーを倒して囚われた姫を救い出すことが目的です。

姫は、ペルシャの国王サルタンの娘。サルタンの腹心で邪悪な魔力を持つ大宰相ジャファーは、戦争で国王が異国の地に遠征中でいないことをいいことに王国を乗っ取り、姫と強引に婚姻を結ぼうとします。一方の主人公である若者は、姫とは恋仲でとても親密であったことから、ジャファーによって塔の地下牢に閉じ込められ、囚われの身となります。

そしてジャファーは、姫に自分と婚約をするかそれともここで死ぬか、1時間以内(スーファミ版では2時間)に答えを出せと決断を迫りますが、ゲームはここから始まります。主人公は牢を抜け出し、罠だらけの城内を駆け巡り、制限時間内に姫を助け出さなければなりません。果たして姫のいる場所へとたどり着くことができるのでしょうか。

 

ジャファーが姫に自分と婚約をするかそれともここで死ぬかと姫に詰め寄るシーン。画面はスーファミ版。

 

ゲームは、固定画面型アクションゲームです。主人公が画面の左右の端に移動すると隣の画面に移動する方式です。

城内はまるでビル建築現場の足場のような構造です(チープなたとえで失礼します)。主人公は、飛び上がって上の階に上がったり、時には下の階に飛び降りたり、テレビ番組のSASUKEのように向こう岸へと飛びついたりしながら、ダンジョンのような城内を駆け巡ります。

時には落下する床だったり、飛び出してくる針山だったり、一瞬で死に至る罠にも遭遇します。もちろん敵も待ち構えているので武器を手に入れなければなりません。また敵は人だけではなく、スケルトンや自分の分身、中ボスキャラも出てくるなど、邪悪な魔力を感じます。そんな中を、駆け巡りながら姫のいる場所にすべて制限時間内にたどり着かなければならないんです。

主人公は、罠にはまって一撃で死んでしまうこともありますが、敵との戦いや高いところからの落下で削られた体力は、城内に落ちている回復アイテムで復活をさせることができます。時々、回復アイテムに見せかけた毒もあるので気をつけましょう。

 

足場が危うい落下する床は、一度踏んだら二度と再生されない。画面はスーファミ版。

 

『プリンス・オブ・ペルシャ』は、多くのパソコンやゲーム機に移植版やリメイク版がリリースされていますが、スーパーファミコン版はパソコン版の12ステージにオリジナルステージが追加され20ステージへと増えています。

また、プラットフォームによって出てくる中ボスや敵キャラは少しずつ異なっていますが、同一機種では常に城内の構造は決まっているので、何度もプレイしていくうちに罠の場所やアイテムの場所等は把握できるでしょう。でも、アクションゲームですから、場所がわかったとて、自分のゲームテクニックも求められます。というわけで、すべてのマップを把握できたあかつきには、最終的により早くゲームをクリアするタイムアタックも可能なゲームになっています。

簡単にいうと、ゲームはやっぱりSASUKEチックだし、ストーリーもよく考えたらクッパからピーチ姫を助け出すマリオみたいな話ですから、そこは新鮮味が薄れるんですが、やはりなんといって城内の主人公の動きが秀逸で、ただアニメーションがすごいというだけじゃなく、魅力的な動きなんですよね。そんな動きをしながら姫を助け出そうと躍起になる主人公を見ているのも楽しいんです。

 

IBM PC版『プリンス・オブ・ペルシャ』のゲームプレイ動画。

(出典 Wikipedia,CC BY-SA 4.0)

 

当時、私が所属していたログインという雑誌の編集部では、『プリンス・オブ・ペルシャ』が流行ったとき、それはもう主人公の動きを真似しては遊んでいました。主人公が回復アイテムのポーションを飲むとき、大げさに反り返って飲むんですが、それが面白くて、我々も飲み物を飲むときは『プリンス・オブ・ペルシャ』飲みをしていましたね。なんというか、それほど特徴的なアニメーションだったんですよね……。

 

回復アイテムを飲むこのポーズがログイン編集部で流行りました。画面はスーファミ版。

 

作者は、知る人ぞ知るジョーダン・メックナー

 

皆さんは、ジョーダン・メックナー(Jordan Mechner)という名前を聞いたことはあるでしょうか。ずばりジョーダン・メックナーさんは、『プリンス・オブ・ペルシャ』のゲームデザイナーであり、またオリジナル版のプログラマーでもあり、音楽と効果音以外すべての開発を担当しています。ちなに音楽は、彼のお父さんフランシス・メックナーさんが作曲者です。

ジョーダン・メックナーさんは、実は名作ゲーム『カラテカ(Karateka)』のゲームデザイナーでもあり、米国ではすでに有名なクリエイターでした。1984年発売のApple II版をオリジナルとする『カラテカ』は、1985年にファミリーコンピュータにも移植され大ヒットしているので日本でもおなじみですが、あまりジョーダン・メックナーさんの名前が前面に出ることは少なかったことから、当時は知る人ぞ知る存在でした。

 

Apple II版『カラテカ(Karateka)』。コンピューターゲームで、この動きは新鮮でした。

 

『カラテカ』もまたゲームキャラクターの動きが秀逸で、まさに空手家のごとく敵と戦う姿が話題になったゲームでした。つまり、『カラテカ』と共通する『プリンス・オブ・ペルシャ』のアニメーションは、「ああ、ゲームデザイナーが一緒なのか」と納得せざるを得ないほど特異なアニメーションで、またそこが一番の魅力でした。

 

日本でもファミコン版『カラテカ』がヒット。ちょっと難かしいゲームで有名でした。

 

このゲーム中の動きの特異なアニメーションは、『カラテカ』『プリンス・オブ・ペルシャ』ともにロトスコープという技術が使われています。ロトスコープは、実写映画等の映像をガラスパネルに投影し、それをフレームごとに紙にトレースしてリアルなアクションを生み出すアニメーション技法かつその装置です(現在はコンピューター化されている)。ゲームキャラクターの動きは、ジョーダン・メックナーさんの弟デヴィッド・メックナーさんがモデルとなり、それを実際に撮影しトレースされています。

 

ロトスコープの仕組み。裏側から投影された映像を紙にトレースする。(出典:Wikipediaパブリックドメイン)

 

ディズニー映画の古き良き古典的作品の多くもこのロトスコープによる技法で作られたのは有名な話です。ロトスコープは映画業界ではなじみ深い手法ですが、それをゲームに起用したという話はそれまで聞いたことも見たこともありませんでした。

しかし、ジョーダン・メックナーさんがなぜこの方法でゲームを作ったかというと、実は絵を描くことやプログラミングをすることは得意だった氏ですが、アニメーションは不得意だったことから、当時ゲームデザイナーではなく映画業界で働くことを夢見ていた氏は、すぐにロトスコープを使うことを思いついたといいます。それが功を奏して、こんなに不思議なアニメーションのゲームになったんだというのですから、何がどう作用するかわかりませんよね。ゲームファンからすれば、そんな動きをするゲームは放っておけませんでした。

『カラテカ』が最初に発売された1984年頃は、まだゲームデザイナーがひとりでゲームを作ることが多かった時代ですから、こうした手法が使われたのはいうまでもありません。もし今のようにゲームをチームで作っていたら、きっとアニメーションが得意な人がドット絵を担当したでしょうから、そうなると『カラテカ』も『プリンス・オブ・ペルシャ』も生まれなかったかもしれませんね。

 

ジョーダン・メックナーさんと『カラテカ』

 

せっかくなので、もう少しジョーダン・メックナーさんと『カラテカ』の話を続けましょう。

ニューヨーク育ちのジョーダン・メックナーさんは、友達の影響で高校生の頃からゲームプログラミングに興味を持ちました。当時は、友人の家にあったApple IIでゲームをしたり、プログラムの勉強をしたり、日々Apple IIに夢中でした。『アステロイド』や『スペースインベーダー』のようなアーケードゲームが好きだった氏は、それがパソコン(当時はマイコンと呼んでいた)でできることを知り、またプログラミングをすることでゲームが作れることから、必死になってマシン語(プログラミング言語)を覚えます。

その後、イェール大学に入学した氏は自分でもApple IIを購入し、大学3年生のときに『カラテカ』を作ります。それまではアーケードゲームをアレンジしたゲームを作り、ゲーム会社に送っては製品化の依頼をしていたが、どれもうまくいかなかったといいます。

そんなときにApple IIの『チョップリフター(Choplifter)』を見て、やはりオリジナルを作らなければならないと一念発起、ジョーダン・メックナーさんは空手家が戦うゲームを考案し、完成させたのが『カラテカ』です。ちなみに『カラテカ』のキャラクターの動きは、氏が習っていた空手インストラクターがフィルムに録画した空手の動きをトレースしたそうです。完成した『カラテカ』がブローダーバンドから発売されて、その後大ヒットしたのは、皆さん周知の事実ですね。

 

ジョーダン・メックナーさんは、ゲーム開発以上に映画業界にも興味がありました。『カラテカ』に登場するカラテカの恋人マリコ姫は、アメリカで放映された『将軍 SHŌGUN』で島田陽メクナー子さんが演じる姫の名前を引用しています。氏は、多くのゲームをプレイしつつもたくさんの映像作品も鑑賞しています。また、映画業界で働くことを志望していた友人がハリウッドへ引っ越したことを機に、自身も脚本家になることを夢見て、それを目指そう考えたといいます。

 

Apple II版『カラテカ』のオープニング画面。『将軍 SHŌGUN』の影響がここにも。

 

『カラテカ』の大成功でその続編を作ってほしかったブローダーバンドは、氏にゲームの開発を依頼するも、ジョーダン・メックナーさんは、新しいゲームを開発すると脚本を書く時間がなくなる、ゲームを作る時間があれば、脚本を3本仕上げることができるだろうと思ったといいます。『カラテカ』は幸いにも売り上げチャートのトップにいたが、新しいゲームが同じように成功する保証はなく、また数年後にコンピューターゲーム市場が存在するかどうかもわからないと、当時の日記に氏の本音を綴っています。

しかし、ブローダーバンドはジョーダン・メックナーさんに猛烈にゲーム開発をしてほしいとアタックします。当初は『カラテカ』の続編を願っていましたが、最終的にはどんなゲームでもかまわないからと、説得します。新作ゲームの制作は、1986年9月になってようやく企画作りがスタート。企画の発想は『インディ・ジョーンズ/失われたアーク』など当時大ヒットしていた映画の影響を受け、ワクワクするような冒険譚になることが決まります。そしてアラビアンナイトのような世界観に決まったのは友人のひと言「アリババのような世界観はどうかな?」だったといいます。

そうして作られたのが『プリンス・オブ・ペルシャ』だということはいうまでもありません(いってますけど)。

 

余談ですが、当時はまだ脚本家を目指していたこともあり、ゲーム開発の途中でハリウッドから脚本家にならないかというオファーがあり一時期ハリウッドに引っ越してしまい、ゲーム開発は止まってしまいます。しかし、脚本家の話は立ち消えとなり、その後にゲーム開発が再開します。

時は、1988年1月になっていました。1988年6月には、ほぼ全体マップ等も完成し、『プリンス・オブ・ペルシャ』はプレイ可能な状態だったといいます。しかし、ゲームをいろいろな人にプレイさせてみると、その動きには満足がいくが、ゲームそのものが単調で途中で飽きてしまうといった感想が多かったといいます。それは、主人公は迷路的な謎解きを戦わずして先に進むというゲーム設計があだとなり、なんとなく面白さに欠けるものだったそうです。

そこで友人の「フェンシングのような戦いのシーンを入れてみてはどうか」という助言により、敵と戦うシーンが誕生します。主人公が魔法の鏡から召喚された自分のドッペルゲンガーとも戦うなど戦闘要素を入れたことで、そのシナリオにも深みが増していきます。こうして、戦いのシーンが組み込まれた『プリンス・オブ・ペルシャ』が完成します。

 

ちなみに、戦闘のアニメーションには、映画『ロビンフッドの冒険』の最後の決闘シーンがロトスコープによりトレースされています。ここでもまた、ジョーダン・メックナーさんの映画好きが功を奏しているといっても過言ではないでしょう。

『プリンス・オブ・ペルシャ』のヒット後、世間ではロトスコープの使用はゲーム業界において先進的であると作品を評価されましたが、それはジョーダン・メックナーさん自身がアニメーションを描くのが不得意で、ロトスコープを使うことは生き生きとした動きを得るために思いついた唯一の方法だったに過ぎないと、自身の日記にて回想しています。

 

ジョーダン・メックナーさんの開発日記(英語)は、書籍や電子書籍にもなっています。写真はKindle版。

 

『プリンス・オブ・ペルシャ』は大成功

 

スーファミ版『プリンス・オブ・ペルシャ』の発売以降、ゲームはメガCD版、ゲームギア版、セガ・マスターシステム版、NES(海外向けファミリーコンピュータ)版、Macintosh版、メガドライブ(ジェネシス)版、ゲームボーイカラー版が登場します(日本未発売のものも多い)。それぞれ、ゲーム画面の解像度や色数がまったく違いますが、どれもあの動きは忠実に再現されており、これらは完成度の高い移植であるといってよいでしょう。まだゲームをプレイしたことがない人やコレクターは、改めてこれらを手に入れてみるのも面白い作品ではないでしょうか。『プリンス・オブ・ペルシャ』は、各プラットフォームを比べて遊んでみるのも楽しいゲームだと思います。

 

Macintosh版はモノクロながらも味のある『プリンス・オブ・ペルシャ』に仕上がっています。

 

海外でしか発売されなかったファミコン版(NES版)『プリンス・オブ・ペルシャ』、動きは頑張っている。

 

さらに『プリンス・オブ・ペルシャ』は、『プリンス・オブ・ペルシャ2 ザ・シャドウ アンド ザ・フレーム』、『プリンス・オブ・ペルシャ3D』といったシリーズ作品が展開されます。

1993年に発売された『プリンス・オブ・ペルシャ2 ザ・シャドウ アンド ザ・フレーム』は、姫と婚約を交わした1の主人公が、婚約後に、プリンスになりすましたジャファーのたくらみにより魔法で浮浪者の姿に変えられてしまい、衛兵に処刑される寸前に城を脱出して身の潔白を証明する旅に出るという続編ストーリーになっています。

 

MS-DOS版『プリンス・オブ・ペルシャ2 ザ・シャドウ アンド ザ・フレーム』。あの動きは健在。

 

また1999年に登場した『プリンス・オブ・ペルシャ3D』は、初の3Dグラフィックスを採用した作品になります。3D空間の中で『プリンス・オブ・ペルシャ』同様に主人公は飛び回ります。ちなみに2000年には『プリンス・オブ・ペルシャ アラビアンナイト』というタイトルで北米のみドリームキャスト版が発売されています。

 

Windows 95版『プリンス・オブ・ペルシャ3D』。壁に飛びつける位置に自分を合わせるのが難しかった。

 

ブローダーバンドは1998年6月にザ ラーニングカンパニーが買収し、さらにマテルインタラクティブによって買収されます。その後、2000年にザ ラーニングカンパニーは『プリンス・オブ・ペルシャ』の権利ごとユービーアイソフトに売却され、以降の『プリンス・オブ・ペルシャ』シリーズは、ユービーアイソフトから発売されることになりました。

その後も『プリンス・オブ・ペルシャ』は、PlayStation 3、ニンテンドー3DS、Wii、携帯電話やスマートフォンなど、新しいプラットフォームにも移植され続けます。2007年には、Xbox 360向けにオリジナルの2D操作のままグラフィックスのみを3Dに描き換えた『Prince of Persia Classic(プリンス・オブ・ペルシャ クラシック)』がユービーアイソフトから配信されています。

 

Xbox 360版『Prince of Persia Classic』。画面が超美麗になりましたが、ゲームの操作感は2Dのまま。

 

新作タイトルやリメイク版として『プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂』『プリンス・オブ・ペルシャ 忘却の砂』『The Shadow and the Flame (リメイク)』『プリンス・オブ・ペルシャ・エスケーブ』等々、もはやマニアも追い切れないほどのシリーズ作品が多数登場しています。

そして2024年には最新作『プリンス・オブ・ペルシャ 失われた王冠』が登場し、さらに2026年にも新作が出ることがアナウンスされています。Apple IIに始まった『プリンス・オブ・ペルシャ』が、ここまで進化し続けることができたのは、あの特異なアニメーション、唯一無二の動きをジョーダン・メックナーさんが一所懸命作成したのが大きな要因であることは間違いないでしょう。

 

最新作『プリンス・オブ・ペルシャ 失われた王冠』Nintendo Switch版も買いましたが、今の髙橋には手に負えないほど中ボスがきつい(汗)。

 

夢を叶えたジョーダン・メックナーさん

 

『プリンス・オブ・ペルシャ』完成後、ジョーダン・メックナーさんは映画学校に通い、キューバに渡って短編ドキュメンタリー映画の製作・監督を行います。2003年、メックナーさんはドキュメンタリー映画『チャベス・ラビーン:ロサンゼルス物語』の脚本と監督を務めるなど、映画業界を目指していた夢も叶えます。

そして、映画業界に務めながらも、『プリンス・オブ・ペルシャ』シリーズのディレクションやデザインにもたずさわり続けます(すべてではない)。2010年にはゲームが実写映画化され『プリンス オブ ペルシャ 時間の砂』が公開されましたが、その脚本の初稿を氏が執筆しています。

順風満帆の『プリンス・オブ・ペルシャ』シリーズは、今後もまだまだ続きそうな勢いですから、ホント『カラテカ』の頃からファンだった自分としては、ファン冥利につきない名作ゲームの1本ですよね。そんなことを思いながら、今、Nintendo Switch版『プリンス・オブ・ペルシャ 失われた王冠』をプレイしているのですが、自分のゲームの腕は進化どころか退化し続けている悲しい現実を感じています。いやはやなんとも、自分にはスーファミ版の『プリンス・オブ・ペルシャ』難易度がちょうどいいのかも。

 

Ⓒ1989,1992 Broderbund Software,Inc.,Jordan Mechner. Ⓒ1992 NCS Corp. Ⓒ1992 Arsys Sodtware,Inc
Ⓒ1984 Jordan Mechner Ⓒ2007 Gameloft SE Ⓒ2024 Ubisoft Entertainment.

 

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著者紹介
髙橋ピョン太

1980年にフリーでパソコン用ゲーム開発を開始。『ボコスカウォーズ』PC-8801版の移植の仕事をきっかけにアスキー専属プログラマーになり、80年代前半~90年代にアスキーのパソコン雑誌『ログイン』の編集者に転向。
その後は、どっぷりと編集につかり、『ログイン』6代目編集長を経て、ゲーム、IT系ライターとなり、現在に至る。Xではレトロなハードやゲームについてつぶやいています。
髙橋ピョン太のX(https://twitter.com/pyonta)

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