東京都港区台場。
歴史をさかのぼれば、ペリーが開国を迫った1853年からこの地への砲台設置を計画したことに名称の由来がある“お台場”というエリア。昭和までは積極的に活用されることもなかったこの場所が、平成に入り東京臨海副都心計画のもとに開発がスタートする。1993年開通のレインボーブリッジ、1996年に開催予定だったが中止となった世界都市博覧会で様々に注目され、1997年に新宿区河田町にあったフジテレビが丸ごと移転してきたことでブレイクし、“湾岸のオシャレスポット”へと進化していった。
都心から遥か遠いとまでは思わないが、りんかい線東京テレポート駅の改札を出て長いエスカレーターに乗り地上に戻ってくると、不思議と「やれやれ……」という感慨が漏れる。同時に街全体がテーマパークのようなワクワク感をいまだに感じるのは、お台場最盛期を知る者の刷り込みだろうか。新宿や銀座などとは明らかに異なる、広くゆったりとした土地の使い方。道路脇に商店が並ぶのではなくすべてが建物内で完結する街作りは、数ある東京の都市の中でもいまもって特殊な風景だろう。
この日、向かったのは首都高速湾岸線を挟んで反対側にある商業施設・デックス東京ビーチ。隣には同じく商業施設のアクアシティ、その向かいにはお台場のランドマークであるフジテレビ本社がそびえ立っている。
今年は例年に比べお台場に来る機会が多かった。『トイレッツ』(セガ/2011)の生存を確認しに来たりしたこともあった。かつてデックス東京ビーチの男子トイレにはズラリと「トイレッツ」が並べられていたというが、すでにその姿は消え失せていた。デックス内にあるアミューズメント施設「東京ジョイポリス」ではいまでも現存しているのだが、稼働しているのは設置9台のうち3台のみ(2024年4月時)。とはいえ稼働からすでに13年も経過しているので無理もない話だ。「トイレッツ」を巡る詳細を知りたい方は、本連載の第25回、26回を参照されたい。
ジョイポリスを横目に見ながらエスカレーターで4階にあがると、雰囲気が一変する懐かしさ全開のフロアが出現する。昭和30年代をイメージした町並みを再現したテーマゾーン『台場一丁目商店街』。雑貨、駄菓子、似顔絵、占いなど昭和レトロ満載な店が左右に並んでいる横丁スタイルの施設だ。
その一角にあるのが『一丁目プレイランド』という名のゲームセンター。
並べられたゲーム機の数々は昭和30年代よりも新しいものだが、いま町中にあるゲームセンターではまず見かけることのない機種ばかりだ。
2024年10月、突如として衝撃の報がもたらされた。近年の物価高騰やゲーム機の部品調達の困難により2025年1月13日をもって一丁目プレイランドが閉店するというのだ。大型筐体とビデオゲーム、ピンボール、そしてエレメカがこれだけの規模で揃い、なおかつ大部分が現役でプレイ可能なゲーム施設は東京には他に存在しない。そんじょそこらのゲームセンターが閉店するのとはワケが違う強烈なショックだった。
エスカレーターから上がった側に広く開けられた入口から入ってまず感じるのは、賑やかな統一感。遊園地などに設置されていたオバケのQ太郎とパーマン一号のキッズライド、エレメカ系では「バスケットチャンス」(テクモ)、「カプセルサッカー」「カプセルゴルフ」(ナムコ)。左に目を転じれば、大型ビデオゲーム機として「トーキョーウォーズ」「ガンバレット」(ナムコ)、「アウトランナーズ」「ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド2」「ザ・ロストワールド」(セガ)が存在感を放っている。
奥の方には「フック」(データイースト)、「スーパーマリオブラザーズ」(ゴットリーブ)、「ロード・オブ・ザ・リング」(スターン)など新旧ピンボール機がズラリと並べられている。「スターウォーズ」はデータイースト版とスターン版が揃っていたり、1977年発売のドラム式スコアを搭載したウィリアムズの「リバティ・ベル」など貴重な作品が揃っているのも見逃せない。
同じシリーズや系統といったどこかリンクを感じさせる精妙なマシン配置、ゲーム機の高さによる並べ方までが考えられ、手前から奥へと見た時の美しいレイヤー感が目を惹く。このコレクション配置には只者ではないこだわりを強く感じさせた。そこに懐かしさを増幅させるように貼り巡らされたレコードジャケットやポスター類。よく見るとそれぞれのパーツの年代はバラバラなのだが、この舞台の中にあっては“レトロ”という括りの一体感で、訪れた者を一気にタイムスリップさせてくれる。
個人的にグッとくるのは「ケロケロパックン」「山のぼりゲーム」(こまや)、「ポルル君の旅行」(Kasco)、「ゴリタンおやこのどっちの手にはいってるか」(テクモ)、「タッチ!アクション」(こまや)というエレメカの並び。遊びの工夫がそれぞれに凝らされた名作たちが往年のヒーローよろしく並び立つ様はまさに圧巻だ。
さらには、「おお…『コックさんのねずみたいじ』が!」「あああ…こんな隅っこにセガの『ルナレスキュー』!」「うぉぉ…『ビンたてゲーム』あるじゃん」と一台ごとに思わず嬌声をあげてしまうほどのエレメカ天国なのだ。
見どころしかないマシンの数々をできれば1台ずつじっくり紹介していきたいところだがそうもいかないので、一丁目プレイランドで見逃しがちなポイントをいくつかお伝えしておきたい。閉店まではまだ時間があるので、この年末年始にぜひ訪れてみてほしい。
まずはピンボールコーナーの脇の壁にかけられたポスター群。「マイティボンジャック」「クレイジークライマー」「トランスフォーマー コンボイの謎」などグッドなチョイスのファミコンタイトルに注目するのはもちろん、奥の方に隠れて「ゼビウス」「ツインビー」のアーケード版ポスターがチラ見えするのがなんとも心憎い。中には本物のポスターではなくチラシを拡大したものもあるようだが、雰囲気づくりとしてちょっと真似してみたくなる存在感だ。
入口の巨大な鉄人28号像の裏にある低いディスプレイ棚には、トミーの「パックマン」、バンダイの「クレイジークライミング」「パックリモンスター」、エポックの「スーパーギャラクシアン」が電源オンの状態で稼働している(プレイ不可)。この電子ゲームたち、いつ見に来ても不思議と電源が入っているのだが電池やらACアダプターやらどうセットしてあるのかよくわからない。わからないのだが、お店の片隅で秘かにじーっと動き続けている様子がなんとも健気なのだ。ちなみに「スーパーギャラクシアン」は、日本版でも欧米版「ASTRO WARS」でもなく、米国版「GALAXY Ⅱ」である点が通好みでシブい。
奥にあるテーブル筐体とミディ筐体、そしてそのラインナップにも注目。よく見ると筐体本体もコンパネも椅子も色や形状が違うものを配し、カラフルな変化を持たせているあたりは実に芸が細かい。
そして「VS.グラディウス」が入ったミディ筐体の後ろの壁には、「別冊コロコロコミック」の創刊号と第10号の表紙が貼られている。この頃すでに大人気となっていた「ゲームセンターあらし」を強く押し出した別コロ創刊号のド迫力なあらしイラストがたまらない。この号に掲載されたのは、エンマ大王を倒すためにあらし一行が“テレビゲーム地獄”を旅するというお話だ。最後はゲーム&ウオッチの「ジャッジ」でエンマ大王と闘う展開になる100ページを超える大作で、本誌でアクション釣り漫画「釣りバカ大将」を連載していた桜多吾作先生によりデザインされた天使チルチルが可愛かった……などと存分に妄想にふけることができる。
また、一丁目プレイランドの隣にある射的コーナー「シューティングギャラリー」も同日に閉店することがアナウンスされている。こちらの店内にあるパステルグリーンのブラウン管テレビにはスーパーカセットビジョンの「スタースピーダー」(エポック)が映し出されている(プレイ不可)。実機なのかビデオ映像なのかは不明だが、なかなかお目にかかれない迫力の3D映像がウリの本作をチョイスするあたりのセンスには脱帽だ。あとついでに「シューティングギャラリー」の向かいにある「爆笑似顔絵商店」は継続して営業するようだが、ここの店頭にポツリと置かれたテーブル筐体も忘れずにチェックしておこう。
2002年10月にオープンした「台場一丁目商店街」も気がつけば22年の年月が経過した。90年代後半のお台場開発から数えれば30年も目前というところまできている。昨今、新宿や渋谷という東京を代表する大都市の再開発が進められ、新たに生まれ変わろうとする東京変革の時期が訪れているのだ。お台場もまた少しづつ変化していき、やがて違った色合いを持つ街となることだろう。
昭和レトロから平成レトロにブームが完全移行した時、ここにある数多のゲーム機たちに再度の出番はあるのだろうか。どこか色褪せた光と音を四方八方から浴びながら、そんなことをボンヤリ考えていた。
もしこのテーマゾーンが完全に消滅したら、お台場に来る理由の大部分が無くなってしまう。大江戸温泉物語もなくなり、船の科学館本館も解体。パレットタウンもヴィーナスフォートもすでにない。そういえばガンダム立像も代替わりしているではないか。
一時期盛んに語られていたお台場カジノ計画もすっかり鳴りを潜め、ここのところの建材費高騰で新規開発計画の足取りもめっきり鈍くなっていると聞く。そんな陰鬱な不況を抜け出し、この街はかつてのような活況を取り戻せすことができるのだろうか。できれば生きている間に新しいお台場が見られたらいいな、と平日で閑散としたアクアシティの「三代目 博多だるま」でラーメンを啜り、しんみりと落日を眺めた。
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