『ストII』ブーム対策から生まれた『痛快GANGAN行進曲』

アルファコラム第6回のカットです

『スペースインベーダー』のブームは約1年と数か月で終焉しました。
しかし、1991年3月に発売された『ストリートファイターII』のブームは1993年の秋になっても鎮静化する事なく続いていました。
果たしてこのブームはいつまで続くのか……?
ADKでも幹部たちが今後のゲーム開発の為にその予想を立てていました。

◆ 鳩野さんにもうちょっと聞いてみました! ◆

・『痛快GANGAN行進曲』は誰の企画だったのですか?

『GANGAN~』はその前身の『マイティハーツ』から私の企画でした。
マイティハーツ』は『ダブルドラゴン』のような2人同時プレイのベルトスクロールアクションゲームで、掴んでからの多彩な投げと関節技、返し技が特徴でした。
『GANGAN~』の投げシステムは、まんまそれを流用しています。

・三幹部とは、誰のことですか? 役職とお名前を教えてください。

画面向かって左から苗村さん(ソフト開発部課長)、丸山さん(企画部課長)、牛沢さん(企画部課長)です。

・『ストII』ブームの流れは当時の予想とはやや違う流れになっていると思います。どんなことが影響したと思いますか? 

90年代は『KOF』『サムスピ』などのシリーズを含めた『ストII』型ゲーム(『ストII』のプレイスタイルでざっくりと遊ぶ事が可能なゲーム)が主役を取っていましたので、概ねは予想①だったように思います。
非『ストII型』ゲーム(『ストII』のプレイスタイルでは遊ぶ事が不可能なゲーム)と呼べるのは、『バーチャファイター』『GANGAN~』『サイキックフォース』など。その中間が『鉄拳』という感じ……まあ、この辺りは人によって区分が別れるでしょうが。

予想とはやや違う流れになったと思うのは、21世紀も四半世紀過ぎようかという時代でも『ストII』シリーズと『鉄拳』シリーズが新作を出し続けている事。
よもや、ここまでシリーズが長く続き、果てはプロゲーマーという存在が出てこようとは誰も予想していなかったのではないでしょうか。

マイナス面で捉えれば、『ストII』と『鉄拳』を超える対戦格闘ゲームをどこも生み出せなかったとも言えます。
20世紀のADK三幹部も、予想の①であれ②であれ、いずれは『ストII』シリーズも消えると思っていたでしょうし、それに代わる対戦格ゲーが続々とあらわれ流行ると思っていたでしょうから。

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著者紹介
鳩野 高嗣 (はとの たかし)

フリーランスのゲーム制作者・グラフィッカー。 タイヨーシステム(カルチャーブレーン)~アルファ電子(ADK、フォンキャスト)~TENKY~dropといったキャリアを経て、現在に至る。
アルファ電子には1986年から2001年まで在籍しており、同社の黄金期から末期までの歴史・実情を知る人物である。 関わった作品は『ラギ』『痛快GANGAN行進曲』『ワールドヒーローズパーフェクト』『テニスの王子様-SWEAT&TEARS-』シリーズ、『マイネリーベ2』など多数。

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