世界中で猛威を振るった『ストII』台風!

 

アルファコラム第5回のカットです

1991年3月、とてつもないバケモノゲームが世に放たれ、ゲームセンターを席巻しました。
その名は『ストリートファイターII(通称:ストII)』!!
『ストII』が猛威を振るう事はSNK幹部も予想をされていて「『ストII』台風が来る!」と警鐘を鳴らして頂きました。
ですが、ADKはサードパーティーの立場。ソフトのリリース日程はSNKにお任せするしかありません。
その結果は……

◆ 鳩野さんにもうちょっと聞いてみました! ◆

・1991年といえば、SNKはNEO GEOの展開をはじめたばかりで、積極的に新作を出していました。ですが、ちょうど『ストII』リリースの時期には新規タイトルが少なかったのは、やはり影響があったのでしょうか?

それまで毎月のようにリースされていたMVSのゲームが、『ストII』台風直下の期間(3月~6月)は3月後半の『ラギ』と『ASO II』、5月の『バーニングファイト』の3本だけでした。
もしかしたら意図的に避けていたのかもしれません。

中でも『ASO II』はかなり前倒しにされたようで、どこまで本当かはわかりませんが「未完成品のうちに発売された」「(営業的には)さらにもっと早く売りたかった」などという話が耳に入っています。

・ストII台風の勢力は予想どおりでしたか?

予想以上に強力なものでしたね。
大抵のブームは一過性のものでしたが、『ストII』ブームは対戦筐体の普及も相まって長い間 並みいる新作ゲームを駆逐して単独での政権を築いていました。
「『ストII』さえなければ‥‥」と泣いた作品、ゲーム会社も少なくなかったと思います。
社名は伏せますが、某排球ゲームのPCB基板は破格値で売りさばいたそうです。

・『ストII』はアルファ電子のスタッフに影響をあたえましたか? あたえたとすれば、それはどのようなものですか?

アルファ電子当時、会社の前にはボウリング場があり、そこで昼休みになると社員数名で出向いて対戦大会が行われていました。私もE本田で参戦していましたね。
そのうち、企画の澤渡くんがプログラマーの西片さんと小さいキャラクター(32ドットくらい)で『ストII』のキャラっぽい動きをするプチストIIを会社の空き時間に遊びで作るようになり、これがきっかけで『ワールドヒーローズ』の企画が動く事になりました。

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著者紹介
鳩野 高嗣 (はとの たかし)

フリーランスのゲーム制作者・グラフィッカー。 タイヨーシステム(カルチャーブレーン)~アルファ電子(ADK、フォンキャスト)~TENKY~dropといったキャリアを経て、現在に至る。
アルファ電子には1986年から2001年まで在籍しており、同社の黄金期から末期までの歴史・実情を知る人物である。 関わった作品は『ラギ』『痛快GANGAN行進曲』『ワールドヒーローズパーフェクト』『テニスの王子様-SWEAT&TEARS-』シリーズ、『マイネリーベ2』など多数。

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