奥成洋輔のセガセガしい日々【Day2 Mファン編集部編①】

「入社前の話も書きませんか?」というリクエストをいただいたので、今回はMSX・FAN編集部のお話。

 世間ではともかく、ここではご存知の人も多いだろうMSX専門誌「MSX・FAN」(通称Mファン)。元編集長の北根紀子さんのトークイベントがBEEP主催で2019年に行われ、僕も参加させてもらった。ただし、最後まで「Mファン」を購読されていた方というと、それほど多くないのではないだろうか。僕は、その最後のほう、晩年のうち2年間、ここに所属させてもらった。「Mファン」こそ、僕がゲーム業界に入り、今の会社に入るきっかけとなった、思い出の雑誌なのである。

 

イベントの様子

 

 今更ではあるが簡単に背景を説明すると、MSXとは世界で初めて標準規格を目指したパソコンであり、1983年の冬に発売開始された。

 当時MSXを取り扱う専門誌は大きく3誌あった。マイナーな「MSX応援団」の紹介は誰かに譲るとして、一番人気だったのは「Mマガ」こと「MSXマガジン」だろう。人気PC誌「ログイン」の兄弟誌で、MSX規格を立ち上げたアスキー自身が発行していたこともあり、最盛期は多くのユーザーが「Mマガ」を愛読していたと思われる。

 しかしこの「MSXマガジン」が1992年に休刊した後も発行され続けていたのが、「Mファン」だった。

 

「ナイコン族」だった僕がMファン編集部で働くことになったのは、青天の霹靂であった。「Mマガ」が休刊した1992年の春、僕は都内の夜間大学に通っていて3年になったところだった。いつものように授業が終わって、最寄り駅で帰りの電車を待っていると、一緒にいたガールフレンドから、突然このような話をされた。「あなたは実家暮らしでバイトもしないし、あまりに世界が狭すぎる。知らない環境に飛び込んでみたり、何かに挑戦してみたりしようとは思わないのか?」ぐうの音も出なかった僕は、その時彼女が手にしていたアルバイト情報誌「フロム・エー(From A)」を拝借し、駅のホームでパラパラめくってみた。そうしたら、その号の特集「ちょっとマスコミ」というコーナーの中で、「メガドライブ」という文字を見つけてしまったのだ。

「人気のゲーム誌を一緒に作ろう」

 という見出しの下には、「『ファミマガ』『メガドライブFAN』『MSX・FAN』等のゲーム誌やソフトの編集・制作」とあった。募集職種は「ゲーム誌編集アシスタント」。「編集」の「アシスタント」? どういう職種だか読んだだけではよくわからなかった。それでも十分だった。「ここだけ貰うね!」と言って該当ページだけ引きちぎると、家に帰って早速応募した。僕は「メガドライブFAN」を、1989年に出た創刊号から欠かさず買い続けていた愛読者だった。

 当時はちょうどメガCDが発売されたばかりで、ゲームアーツの『天下布武』を遊びながら『LUNAR』に期待し、そして『シャイニング・フォース 神々の遺産』も発売され、メガドライブがいよいよ天下を取れそうな、熱い勢いを感じていた時期だ(セガファンはいつもそういう時期に思えてたかもしれないけど……)。

「ファミマガ」(ファミリーコンピュータマガジン)や「MSX・FAN」も知ってはいたが、正直僕には「メガドライブFAN」の文字しか目に入っていなかった。定期購読していたのにも関わらず、今回アルバイトを募集していた出版元の「徳間書店インターメディア」という社名もこの時初めて意識した。

 アルファベットの頭文字を取って「TIM」(ティム)とも呼ばれていたこの会社は、ゲーム雑誌の出版社としては長らく最大手だった。初のファミコン専門誌「ファミマガ」を創刊してから7年、全盛期には100万部を発行し、数あるライバル誌の中でトップをキープし続けていた。またTIMはそれ以外にも「ファミマガ」以前からあったパソコン専門誌の「テクノポリス」をはじめ、多くのゲーム専門雑誌を発行していた。

 ちなみにこの時のアルバイト募集要項を改めて見直してみると、時給は「860円以上」。当時としては平均以上の割と良い額だったのも、雑誌が売れていたからだろう。資格は「18歳以上の男女(高校生不可)」。そして条件は「土日祝除く11:00~22:00の間で月100時間以上勤務できる方」とある。月100時間というと大体週に25時間。つまり月~金で1日5時間労働できればクリアだ。

 

実際のフロム・エーの切り抜きがこちら

 

 応募して間もなく連絡があり、4月下旬のゴールデンウィーク前に面接が行われた。数名の面接官の前で、とにかく自分が創刊号からの「メガドライブFAN」愛読者であることと、昔からセガハードのことが大好きであることを熱弁した。その日はそれだけで終わり、新橋駅前のディスカウントショップ「キムラヤ」で、メガドライブの『トージャム&アール』を1980円で買って大学へと向かった。その3日後には採用通知が自宅の電話にあり、連休明けの5月6日には即出社と、とんとん拍子で進んでいった。

 最初の4日は、基本的な仕事を覚える試用期間だった。会社の組織の説明を受け、電話応対の仕方を指導されたのだが、あまりに懇切丁寧なので、これって本当にアルバイトなの? とちょっと驚いた。ほとんど社員のような扱いに思えた。

 

丁重すぎるバイトの扱い

 

「ゲーム誌編集アシスタント」というのは、どういう仕事なんだろう? という疑問もここでようやくわかった。ゲーム誌の各ページの見出しや写真の大きさ、位置などの構成を考え、自分で決めた文字数に合わせて記事を書き、掲載する写真やイラストを用意して完成まで進める、つまり担当ページのすべてを行う業務だった。研修のなかには「ファミマガ」の記事を渡されて、「この記事に載っているゲームソフトの紹介を、自分なりに書いてみる」という練習もあった。編集アシスタントの仕事にはライターとしての文章力も求められていたのだ。

 そして研修最後の4日目、配属先が伝えられた。僕の所属するのは「メガドライブFAN」……ではなくMファン編集部だったというわけだ。

 

 

 冒頭でも触れたが、そのころの僕はMSXどころかパソコンをひとつも持っていない「ナイコン族」だった。高校時代にはPC-8801mkIISR、FM-77AV、X1turboのブームがあり、その後PC-9801、X68000やFMタウンズなどへ移行していた、PCといえば国産機しかほぼ存在しない時代だ。もちろん興味はあったが、パソコンはどれも高かったのだ。当時は友人の家を渡り歩いて、これらのパソコンを触らせてもらった。その中にMSXもあった。有名な『イース』2作を初めてプレイしたのもMSXだ。しかしそれはメガドライブが発売された1988年頃のこと。1992年にMSXを使っている友人は僕の周りには誰もいなかった。だから、編集部に配属されるまで、MSXがまだ現役であることを知らなかったくらいだ。必ず「メガドライブFAN」に配属されるものだと思い込んでいた僕は、ショックで肩を落としながら編集長の北根さんに連れられてMファン編集部へ向かった。

 面接や研修を受けた場所は、真新しいビルの6階にある見晴らしの良いところだったが、実はその建物に入っているのは管理部だけで、メインである編集部は違うところにあった。

 駅から近いのに人通りの少ない裏路地に面した、3階建ての古いビルがTIMの本体と呼べる場所だった。ビルの1階には一番大きなファミマガ編集部があり、月2回の発行を2班体制で忙しく作り上げていた。この頃の2階はメガドライブFANとPCエンジンFAN、3階はゲームボーイマガジンとゲームソフト制作だったと思う。

 だが、僕が配属されたMファン編集部はこのビルではない。ビルの向かいに建つ、さらに古びた平屋の建物の中に、テクノポリスと合わせてひとつの部屋に入っていたのがMファンだった。さらに奥はスーパーファミコンマガジン編集部が入居していた。

 

 

 この平屋の建物は第2別館というのが正式名称で通称「ニベツ」と呼ばれていたが、特に奥のスペースについては、以前せんべい屋だったらしく、今も「せんべい屋」と呼んでいた。ちなみにせんべい屋は表通りに面していて、小さなドアの出入り口と、壁には昭和の喫茶店にあるような、小さなショーウインドーが埋め込まれていた。そのショーウインドーには、いつからあるのかわからないほど古びた新品のカセットテープが飾られていた。宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』と『名探偵ホームズ』、安彦良和監督の『アリオン』、そして『スーパーマリオブラザーズ全面攻略ビデオ』。全部、当時はもうどこのレンタルビデオ店にも無かったβテープだ。パッケージは日に焼けて色あせて真っ白だった。

(数年後、この建物を潰す際に、なぜか僕がその展示品を譲り受けたので、今でも持っている)

 僕は2人の同期とともに連れられ、ドキドキしながらMファン編集部に足を踏み入れた。そこにいたのはみんな20代の若者ばかり。ここで僕は編集やライティングはもちろん、社会人としての心構えなどさまざまなことを学ぶことになる。(つづく)

 

 

 

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著者紹介
奥成洋輔

1971年生まれ。『MSX・FAN』(徳間書店インターメディア)の編集アルバイトを経て、1994年にセガ入社。2005年以降はプロデューサーとして過去タイトルの復刻作品を数多く手掛ける。主な作品にPS2「セガエイジス2500」シリーズ、ニンテンドー3DS「セガ3D復刻プロジェクト」、『メガドライブミニ』『同2』など。
2022年より副業として執筆活動を開始。2023年『セガハード戦記』(白夜書房)を上梓。イラストは餅月あんこ先生。
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