毎度、名作ゲームを紹介する連載コラム『髙橋ピョン太のおニューもレトロも』の第6回は、今年の8月27日に発売30周年を迎えた任天堂のゲーム『MOTHER2 ギーグの逆襲』をご紹介いたします!!
本作は、今もなお愛され続ける不朽の名作RPGと評判の作品ですから、レトロゲームファン、BEEPファンのみなさまの中にも、このゲームに関して一家言ある人は、たくさんいらっしゃるんじゃないでしょうか。『MOTHER2 ギーグの逆襲』と聞いただけで、どせいさんの話や、ゲーム中の音楽やトンズラブラザーズについて、はたまたマジカントの世界観についてなどなど、語り合いたく話がたくさんありますよね……。
『MOTHER2 ギーグの逆襲』は、1994年8月27日にスーパーファミコン用のゲームとして発売されました。『2』ということは、つまりシリーズものです。前作の『MOTHER』は、さらにさかのぼること5年、1989年7月27日に発売されたファミリーコンピュータ用ゲームでした。
真っ赤なパッケージが印象的な『MOTHER2 ギーグの逆襲』。
『MOTHER』『MOTHER2 ギーグの逆襲』は、あのコピーライターの糸井重里さんがゲームデザインとシナリオを手掛けており、しかも『2』ではプロデューサーまで務めたことで有名な名作ゲームです。今でこそ著名人がゲーム制作に参加されることは珍しくありませんが、当時、特に『MOTHER』が発売された1989年に糸井重里さん級の著名な方が参加され、しかも片手間ではなくドップリと本腰を入れてゲームの根幹となる部分を制作されることは、とても珍しいことでした。
待望の『MOTHER2 ギーグの逆襲』は、前作から五年の歳月を経て発売されました。
コンピューターゲームは、1970年代後半から1980年代前半にかけてコンピューター雑誌などに掲載されていたゲームのプログラムが、カセットテープにセーブ(記録)されて、各地のパソコン(マイコン)ショップや通信販売などで売られるようになって、形成された流通が業界の始まりでした。やがて、ファミコンを始めとする家庭用ゲーム機が現れ、そしてゲームがROMカートリッジ等で販売されるようになり、しっかりとした流通網が確立し、そこから何百万本という大ヒット作品が続々と出るようになって、それが世界的な市場へと成長したのちの、現代のゲーム業界ですからね。
これはかなり私的な感想ですが、その過程を一部始終見てきた身としては、糸井重里さんがゲームを制作されるというトピックは、それはもうコンピューターゲームの世界も「思えば遠くへ来たもんだ」というなんともいえない感動さえ感じました。すでにゲーム業界で大ヒット作品を生み出して、ゲーム業界から著名になられた方はたくさんいらっしゃいました。しかし、他の業界で活躍されている方が本気でゲーム制作の中心人物となって活動され、しかも大ヒットし名作を残されたという事実は、これはもう年表に残るような歴史的な出来事の一つといっても過言ではありません。髙橋の中では、『MOTHER』『MOTHER2 ギーグの逆襲』は、そういう作品でした。
今回、『MOTHER』ではなく『MOTHER2 ギーグの逆襲』をテーマにレトロゲームを紹介するのも、また一つ理由があります。それは、どちらがゲームタイトルとして優れているのかという比較ではなく、ハードウェアの制約がより少ないスーパーファミコンのほうが、制作者の意図する本来の思いが具現化できる環境でゲーム制作ができた作品だからです。ファミコンでは、グラフィックの表現力には限界があったし、何よりもROMの容量やCPUが一度に扱えるメモリ等の容量に制約があり、それはもうプログラミングはパズル的な難しさであり、制作者の意図する表現自体にも制約がかかってしまう環境でした。
つまり、糸井さんがこんなゲームを作りたいという意図がより反映されている作品は、ハードウェア的なスペックの制限が緩和されたスーパーファミコン用に作られた『MOTHER2 ギーグの逆襲』のほうが、それが色濃く出ていると思ったからです。
『MOTHER2 ギーグの逆襲』の自宅グラフィック。
『MOTHER』の自宅グラフィック。かなり簡素的な表現。
『MOTHER』の自分の部屋。ファミコンの表現力はもう少しありましたが、描き込みすぎるとROMの容量が足りなくなるため、ある程度の表現にとどめる必要がありました。
くどいようにいいますけど、『MOTHER』と『MOTHER2 ギーグの逆襲』はどちらが面白いか、ということではありません。
『MOTHER』と『MOTHER2 ギーグの逆襲』は、世界観は似ているようで、実はほんの少しだけ違ったりします。ゲームのシステムはというと、似ているようでもあり、少しだけ違うようにも思えます。じゃー、シナリオ的に続編じゃないの? という質問も出てきそうですが、これがまた続きのようだけどそうでもないという……。糸井さんは、意図的にそんな作り方もしているのではないでしょうか。
こうなってくると、『MOTHER』をやっていなくても『MOTHER2 ギーグの逆襲』は遊べるのか? という問題が出てきますが、これがまた遊べてしまいます。というか、これから遊んでみたい人には、操作性等が改善されている『MOTHER2 ギーグの逆襲』をオススメします。
『MOTHER2 ギーグの逆襲』は、スクープとして1992年6月19日号の『ファミコン通信』が『MOTHER2』の画面写真を大公開、かつ制作者の糸井重里さんのインタビュー記事が掲載されています。ゲームが発売される2年以上も前のスクープ記事です。
インタビューで糸井さんは、「主人公は前作と同じなんですか?」という質問に対して「プレイヤーは自分で名前をつけるので、1をやった人は同じ名前をつけるんでしょうね」といい、「2から始める人は、ここで初めてのような気がするんです」と続け、「だから(主人公は)同じ子供だと思ってもいいし、違う子供だと思ってもいいっていうようなところでしょう」「その人が決めてくれればいいと思うんです」と締めくくっています。
自分で名前がつけられるけど、お任せもできます。好きな食べ物やカッコイイと思うものが入力できるのも糸井ワールド。
ウィキペディアの『MOTHER2 ギーグの逆襲』の項目内に”副題に「ギーグの逆襲」とあるが、今作のギーグが前作に登場したギーグと同一の存在なのか、そもそも世界自体が前作と同一なのかは、作中では明示されていない。” という記載がありますが、先の糸井さんのインタビューでは、「前作では『MOTHER』の最後の敵のギーグってやつが出てきたんですけど、あいつは死んでないわけですよね」「だから、今度の『MOTHER2』のサブタイトルは『ギーグの逆襲』です」ということを明かしています。このインタビュー記事は、とても興味深いですよね。
こうしたスクープ記事が発表されたこともあり、以降『MOTHER2』はその後発売されるまでの2年間、ずっと『ファミコン通信』の「発売までまてない期待の新作TOP20」の上位に食い込む話題作でした。
『2』の自分の部屋。グラフィックが強化されているのも魅力的でした。
『MOTHER2』は、開発がスタートしてから発売されるまで約5年かかりました。この話は、ほぼ日刊イトイ新聞(2013年3月18日)糸井重里さんと元ハル研究所の社長でその後に任天堂の社長に就任した岩田聡さんとの対談「『MOTHER2』ふっかつさい開催記念対談 はじめてのひとも、もういちどのひとも。 1」の記事に詳しいのですが、ほぼ開発が頓挫しかけていた『MOTHER2 ギーグの逆襲』の状況に出会った当時ハル研究所の社長だった岩田さんが、その開発途中のプログラムを見て「いまあるものを活かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。イチからつくり直していいのであれば、半年でやります」といい、開発を請け負ったといいます。結果、岩田さんは5年続いた開発期間の最後の1年を手伝い、『MOTHER2』が無事発売にいたったという有名なエピソードがあります。
これもファミコンでの『MOTHER』の成功があったことと、やはり『MOTHER』という他には類のない糸井ワールドな世界観のRPGが面白かったからこその愛ある展開に違いありません。
今回『MOTHER2 ギーグの逆襲』については、ゲームのシナリオやその展開は映画でいうところのネタバレになってしまうし、このゲームの神髄はまさにシナリオなので、あまりゲームの内容については語らずに行こうと思っていました。しかし、糸井ワールド的世界観については、やはり触れておきたいところです。
南の国のマーケット。セリフが秀逸。一世を風靡した東京コミックショウのギャグは、おっさんホイホイ。
ウィキペディアの解説によれば、『MOTHER』は1980年代のアメリカを舞台にした作品であるとのことですが、糸井さんいわく「『|』でもアメリカって決まってたわけじゃないんですよ」と断言しています。ただ、プレイをしてみると、やはりアメリカンな雰囲気は実際にあります。アメリカンなキッズが活躍する、まるで『グーニーズ』のような雰囲気というか、個人的にはスヌーピーでおなじみの漫画『ピーナッツ』やアニメ『サウスパーク』のような世界観を感じます。そうした雰囲気の舞台の中で、宇宙人やロボットなどが登場するSFチックな世界観もあったりします。これも、1980年代の雰囲気です。
SF的な風景もレトロチックな雰囲気。
設定でいうと、『MOTHER2 ギーグの逆襲』の舞台は、イーグルランドの地方都市オネット。その北のはずれに少年が家族と暮らし、少年の家の隣には、同年代の少年ポーキー・ミンチとその家族が住んでいるという設定です。そこから、隣街の女の子と知り合ったかと思えば、『2』ではさらにインターナショナルになり、最終的にはちょっと違う文化圏の子供たちとのパーティとなり、4人でギーグの逆襲を阻んでいく展開になります。現代でいうならば、いたるところに多様性の社会がつまった世界観を醸し出しています。こういったあたりが、まさに糸井ワールドなんじゃないかと個人的に思うわけです。
また、『1』から継承されているワールドやフィールドのグラフィック描写が斜めの描法というのも『MOTHER』ならです。これは糸井さんも「評判が悪かった部分もあるんですけど、「わしらはこれでやるんじゃ!」って決めたんで、『1』の斜めの描法や街の大きさも、しつつこく追求してます」とインタビュー記事でもお話しされていますが、確かに 斜めの描法でゲームを進行するのは最初とっつきにくいなと感じるのも事実なんですが、慣れるととたんにそれは『MOTHER』らしさだなぁと思えるようになります。
また、一般的なRPGの表現であるワールドマップで街の記号に重なるとその街に入るという形は、どうしても生理的に糸井さんたちは受け付けなかったといいます。「街のなかも敵を出したいしね。気持ち的に街のなかは街のなかでフィールドだっていう考えかたしてます」と糸井さんは『ファミコン通信』で語っています。
そして何よりも糸井ワールドらしさを感じるのは、街のなかのキャラクターたちのセリフです。一字一句、糸井さんのコピーライターとしてのセンスが光るそれらは、やはりゲームそのもののエンターテインメント性が広がった感を感じずにはいられません。ゲーム中に埋蔵金を探している人に出会うだけで、もうニヤリとしてしまいます。ビートルズの『イエロー・サブマリン』を彷彿させる黄色い潜水艦が出てきたりするのも、おっさんゲーマーにはたまりません(笑)。
勇気を持ってぼーっとしているなんてセリフ、なかなか思いつかないですよね。
そして主人公たちは、バットやフライパン、エアガンなどの道具を武器に、日常的なものを防具として用いて、敵と戦います。また、敵に勝つことで得た経験値でレベルを上げながら、一部のキャラクターはPSIと呼ばれる超能力を習得することができます。ちなみにPSIには、攻撃用、回復用など様々な種類があります。戦闘後も敵は死ぬのではなく、「○○はわれにかえった」や「○○はおとなしくなった」など、愛ある結果で終わります。
日常的なアイテムも『MOTHER』らしさの一つ。
前作と同様、各地に電話が設置されていて、「パパ」に電話をかけるとゲームのセーブできます。また、「ママ」に電話するとホームシックが治ったり、そのほかにも手持ちのアイテムを預け入れたりなど、他のゲームとはひと味違った体感ができちゃうのも『MOTHER』シリーズならではだと思います。
そして、ゲーム中に出会う多くのキャラクターが個性的であり、数え切れない愛すべきキャラが多数存在し、前述したどせいさんやトンズラブラザーズなど一生忘れることができない存在にも巡り会ってしまいます。
『MOTHER2 ギーグの逆襲』はその後、2003年6月20日にゲームボーイアドバンス用として『MOTHER』と本作を収録した『MOTHER1+2』が発売されたほか、Wii UやNewニンテンドー3DSのバーチャルコンソールにも配信されました。
また、2006年4月20日には本作の続編としてゲームボーイアドバンス(GBA)用に『MOTHER3』が発売されています。
奇しくも2024年8月27日に発売30周年を迎えた『MOTHER2 ギーグの逆襲』ですが、今遊んでも本気で遊べるゲームの一つであることは、間違いありません。事実、髙橋もこの記事を書くために久々にプレイをして、そして無事にエンディングを迎えることができました。いやー、本当に夢中になれますね。今、髙橋イチオシのゲームの一つです。
それにしても、30周年とは……月日が流れるのは早いですな(涙)。
まさか最後のほうであいつと戦うとは……。
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