東京都豊島区巣鴨。
友人が亡くなった。
脳動脈瘤のカテーテル手術後にくも膜下出血を起こして昏睡状態となり、2週間頑張ったのだが力尽きてしまった。彼が倒れてから奥さんに連絡をいただき、落ち着かない日々過ごしていたのだが、逝去の報せを受けて混乱、呆然としながらも「よく、がんばった」と友人の命を賭した激闘を讃えた。
その翌日は土曜日だったが、仕事でどうしても取材に行かねばならなかった。親しい友がこの世を去ろうとまったく関係なく、普通に働かねばならないというこの現実に、怒りだか悲しみだかよくわからない複雑な感情を抱きつつ、完全にうわの空で取材を終えた(すみません)。
彼は手術前に、もし自分になにかあった時は、私ともう一人の友人に伝えてほしいと奥さんに託していたそうだ。今日はそのもう一人の友人と会うことにした。彼の住む場所と、自分が今いる場所とを考え、JR巣鴨駅を待ち合わせ場所にした。
30年ほど前、大学生となった私は、大学内のサークルには所属せず学外のサークル活動に精を出していた。それはアーケードゲームのサークルで、週末になるとみんなで集まりゲームをして、会誌を作って飯を食い、時間を忘れて馬鹿話に花を咲かせた。その集合場所が巣鴨だった。
ナムコの直営店「プレイシティキャロット巣鴨店」はその頃すでに、伝説のピークを過ぎていた。しかし、ゲーム雑誌などで見てずっと憧れを抱いていた巣鴨キャロットに毎週のように訪れることは、私にとってこの上ない喜びであったように思う。
巣鴨駅で友人と合流し、昼飯を食べた。金目鯛の煮付けの定食を頼んだが、正直食欲がなく味もあまりしなかった。一杯だけレモンサワーで献杯し、亡くなった友のことを語り合った。午後から予定が入っているという友人は先に帰るというので、ひとり喫茶店に残ることにした。
氷が解けてすっかり薄まったアイスココアをチビチビとすすり、ボンヤリした頭でこのあとどうするかを考える。
(そういや「ゲームある紀行」の次の原稿、どうしようか。)
(巣鴨には3軒ほど“テーブル筐体喫茶”があるな。)
(せっかくだし行ってみるか。)
(せっかくってなんだよ、あいつが死んだからここに来たんだぞ。)
(でも原稿書かないといけないし。)……などと、とりとめもなくぐるぐると思考は回った。
急に降り出した雨に思わず小走りになると、わずか30秒で「珈琲 伯爵 巣鴨店」に到達した。こんなに近かったのかと思いつつ入店してみたら、雨が降ったからなのか結構な人の入り。なんとか席を確保し、メニューも見ずにブレンドコーヒーを頼む。
座った座席はテーブル筐体で、画面には色鮮やかなブロックが上からドンドン降ってきていた。やがてフィールドの一番上まで積み上がると画面がグレーになりゲームオーバーに。猿の動きはコミカルだが、今日はどこか憎らしげに見える。ご存知「テトリス」(セガ/1988)のデモ画面だ。
亡くなった友人とは同じゲームのサークルで出会った。彼とは同い年だったが、サークル加入は私より早く、「ゲーメスト」のVol.3(1986年9月発行)からライターとしても参加したりもしていた。
のちに出版社に就職して編集者となり、独立してフリーになってからは企業IT系のライターとして活動。私とは進んだ道が同じような業界であったこともあり、そのサークルが活動停止してからも折を見つけては一緒に飯を食ったりしていた。2人ともサークルでの会誌制作が、その後の進む道に影響を与えたことは疑いようもない。
財布から100円玉を取り出し、コイン投入口に滑り込ませる。
ピロンッとクレジット音が響いた。
喫茶店のゲームでちゃんと音が聞こえるのは嬉しいが、なぜかほんの少しだけ気恥ずかしい。ブロックがゆっくりと下りてきているがどうにも気がそぞろで、狙った位置にまったく収まらない。この速度でうまく入らないというのは下手くそ以外の問題があるのかもしれない。どんどんハチャメチャな形に積み上がっていき、3分ほどでゲームオーバーとなった。
巣鴨駅の北口側。
ロータリーを越えた角の一番いい場所の地下にある喫茶店が「ポピー」だ。
地下へ続くシブ味全開の階段を下りきると、店内はわりとこじんまりとしていて、壁も机も椅子も天井までもがブラウンを基調とした統一感のある昭和な雰囲気。喫煙可能店なので少し煙っており、煙草の香りにどこかしら懐かしさを感じる。
またしてもメニューも見ずにアイスココアを頼むと、座面が破れたソファに深く身をゆだねる。
ここのテーブル筐体はかなりの年季モノだ。
インストラクションカードは「二人麻雀 ロンⅡ」(サンリツ電気/1981)。
麻雀コンパネはところどころキーが欠落しており、2P側のパネルはこのゲーム独特の“九種九牌流し”ボタンと“オープンリーチ”ボタンが失われていた。
先ほどの「伯爵」の明るくにぎやかでゴージャスな雰囲気とは対照的に、天井低めで薄暗い店内では、人生の酸いも甘いも噛み分けてきた諸先輩方が苦み走った表情でスポーツ新聞を念入りに睨めつけている。そんないい具合に侘びきった客層も相まって、あの頃の巣鴨にタイムスリップしたような気分になってくる。
とは言っても、巣鴨に通っていたあの当時、「ポピー」にも「伯爵」にも入ったことはなかった。学生でお金もなかったし、お茶やご飯にお金を払うならゲームに注ぎ込みたい時期でもあった。
やがて社会人となり、仲間がそれぞれの道を歩みだしてゆくと自然と会う回数は減っていく。いつの頃からか、ゲームに対する興味にも個人差が生じはじめ、たまに会って話す話題も「ゲーム」から「健康不安」に変わっていった。
自分自身を振り返ると、ゲームへの関心が薄れる時期もあったがそれなりの熱量を保ったままここまで来たような気がする。今は少し歪んだ方向に行ってる自覚もちゃんとある。
ふと立ち止まって周囲を見渡すと、かつてはあれほどに熱くなって共に楽しんだ仲間たちが遠く離れたところでそれぞれの日常生活の中に埋もれていくのが見てとれた。
それは藤子・F・不二雄の短編漫画「劇画オバQ」のハカセのような、あるいは最後にひとり変わることなく残された、Qちゃんのような感覚だった。
巣鴨最後の一軒は、白山通りを渡り旧中山道、いわゆる巣鴨地蔵通り商店街に入ってすぐにある喫茶店「Coffee House スカイ」。
地下への階段を降りて店内に入ると、こちらもそれほど広くはなく、やや薄暗い感じが落ち着いた雰囲気を醸し出している。
流れている曲はアメリカンオールディーズで、よく聴くとひとりの同じ男性の曲ばかりであることに気づくだろう。そう、こちらは“キング オブ ロックンロール”エルビス・プレスリーをこよなく愛するマスターが営むお店なのだ。店内は、壁から天井まで数多くのグッズで埋め尽くされている。さらには曲のリクエストまで受け付けているというからエルビスファンにはたまらないものがあるだろう。
そんなエルビス・テーマパークの中にあって異質ということになるのだろうが、こちらもテーブル筐体が置かれている。しかも全部で4台だ。
腰を下ろした座席の台は「上海」(サクセス/1988)だが、コンパネはなぜか麻雀コンパネ。他の3台は「NEW 赤麻雀」(パラダイス電子/1990)、「Cherry bonus Ⅳ」(DYNA/1993)、「麻雀 一発逆転」(パラダイス電子/1986)のインストカードが適当な感じで入っている。
以前に訪れたときは電源が入っておりプレイしている人もいたのだが、聞いてみたところどうやら故障してしまったようだった。
この連載でもよく、喫茶店や銭湯、あるいはゲームセンターが閉店するところに直面するため、「辛気臭い内容だよね」と言われたこともある。こういう趣味であちこち回っていればそれは避けようのない現実として立ちはだかり、その都度悲しい思いをすることになる。昨日まで動いていたゲーム基板だって、今日必ず立ち上がるとは言えないのだ。
齢五十を越えた自分の周辺にはそんな小さな崩壊が少しづつ、まるで連鎖するように起こり始めている。ゆっくりと時間をかけて自らの肉体と精神を構成してきた、無数の愛して止まないモノ、コト、ヒトが次第に限界を迎え、あるいは天の導きを受けてこの世から消えてゆくことになる。
電源の点らない3台のテーブル筐体を見つめ、諸行無常とやらをボンヤリ恨んだ。
階段を上がって地上へと出ると日が傾きかけており、家路へと急ぐ人の姿が見えた。
巣鴨は自分にとってもう思い出の中にある街で、そこに行けば出会えたかつての仲間もなく、ずっとそこに居てもいい街ではなくなってしまったようだ。
しかし、一生モノの出会いがあり、決して色褪せない思い出がいっぱいある大切な街でもあることにも、改めて気付かされた。
さて、巣鴨キャロットという名称ではなくなったけど、同じ場所にずっとありつづける「namco 巣鴨店」でも軽く冷やかしてから帰るとしようか。
そしてまた、そのうちブラリとやって来るよ。
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