こんにちは、奥成洋輔と申します。昨年『セガハード戦記』(白夜書房)という本でデビューしました新人雑文家です。この度RF丸山さんに声を掛けていただき、昔話を語るスペースをいただきました。よろしくお願いします。というわけでまず第1回はPS2版『ドラゴンフォース』のお話。
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『ドラゴンフォース』は、1996年春にセガサターンで発売されたシミュレーションRPGだ。遊んだことのない人も、100対100の戦闘シーンはテレビCMなどで見たことがあるかもしれない。本作は完全新作でありながら、同時期に発売された『パンツァードラグーン ツヴァイ』『ビクトリーゴール’96』に負けないスマッシュヒットとなった、というのは原作のお話。今回はその9年後の2005年に発売された、僕の初めての移植仕事であるPS2版について語る。
ドリームキャストの時代が終わり、セガがサードパーティとなって他社ハードにタイトルを供給するようになった2003年、僕は「セガワウ」というセガの開発分社にいた。オフィスは恵比寿にあったので、たまに大鳥居のセガ本社へ行くときは、用事が済んだあとも何か面白いネタはないかとあちこちに徘徊していた。そんなある日のこと、親しい先輩のデスクで僕は興味深いゲームに出会った。懐かしのゲーム『ファンタジーゾーン』が、フル3DグラフィックにリメイクされてPS2で遊べるようになっていたのだ。こんな面白そうなソフト、いったいどこで作っていたのだろう?
話を聞いてみたところ、驚くことにこれはセガの開発分社でつくったものではなく、新会社のソフトなのだという。これが「SEGA AGES 2500」シリーズと僕の初めての出会いだった。会社の名前は「3D AGES」。廉価ソフトで実績のある「D3パブリッシャー」とセガが組んで作ったところで、「SIMPLE 2000」のようなヒットシリーズを目指し、これからセガの名作タイトルを次々とリメイクしていく計画なのだという。
セガワウに戻って上司にこの話をすると、「それいいよ奥成くん! 僕らも参加させてもらうんだよ」と、俄然乗り気になった。早速担当者に引き合わせたところ、あっという間にセガワウで1本開発を受託することが決まる。タイトルはセガサターンで発売された『ドラゴンフォース』になった。上司はかつてこのゲームのディレクターで、復活の機会を伺っていたのだ。そして上司はのたまった。「これは奥成くんの担当ね」
僕はこの時まだ初プロデュース作である『サクラ大戦Ⅴ EPISODE 0 ~荒野のサムライ娘~』というアクションゲームを開発中だったので、まさか自分が担当するとは想像もしていなかった。自分には2本同時は無理だと抵抗してみたものの、結局受け持つことになってしまった。
100vs100の集団戦闘
外注開発先は上司が見つけてきたので、僕はサターン版の主要メンバーを集めることにした。まずは開発のキーマンだった社内スタッフ、清水徹さんだ。
清水さんは『ドラゴンフォース』のメインデザイナーで、セガワウの社員だった。アニメーター出身でゲーム開発者に転職、日本テレネットでメガCDのタイトルをいくつか手掛けた後、『ドラゴンフォース』に参加。一旦セガを離れ、PS1の『火星物語』を開発する。その後ドリームキャストの『エターナルアルカディア』のために再びセガへ復帰し、PS2版の『Shinobi』ではディレクターを務めた。
清水さんは『Shinobi』終了直後も引き続き『Shinobi 2』のディレクターとして開発チームをまとめる立場だったので、直接手を借りることはできなかった。それでも、できる限り協力するよと、キャラクターデザインの日野慎之助さん、シナリオの呉屋真さんを紹介してもらった。
2人ともフリーのクリエイターで、日野さんはPS1の『スペクトラルフォース』など多数のゲームのキャラクターデザインを担当されていた。呉屋さんも漫画原作者として活躍されていて、ゲームでは『シェンムー』にも参加されていたそうだ。2人は快く協力を申し出てくれた。なんて開発者に愛されたプロジェクトなのだろう。
またサウンドスタッフもウェーブマスター所属のオリジナルメンバーに参加してもらえることとなり、各パートのキーマンが揃う豪華な布陣になった。
メンバーが揃ったところで清水さんも加えて居酒屋に集まって、リメイクの方向性や具体的な内容を決めることにした。
SEGA AGES 2500シリーズの定価はその名の通り2500円と、当時6800~7800円だったゲームソフトの1/3ほどの価格だった。必然的に開発費も1/3ほどになる。そんな少額の開発費でボリュームのあるサターンのRPGをリメイクできるのだろうか?
まずメインプログラムは、絶妙なゲームバランスも変えたくなかったのとコストの問題もあり、サターン版を流用することにした。シナリオに関しても基本的には手を入れず、ファンから人気のあった、因縁のあるキャラクター同士が戦う時に交わし合う特別な台詞部分(因縁台詞)を、呉屋さんの手で大量に増やしてもらうことにした。
次にビジュアルについては、絵をすべて描き直したいと、日野さん自らの強い申し出があった。ありがたい申し出だが問題は量だ。サターン版の『ドラゴンフォース』には約130人ものキャラが登場する。しかもサターン版では、メモリの都合で顔の絵を使い回したキャラクターもいたが、今回はすべて描き改めるという。そしてイベントシーンで使われる1枚絵グラフィックだが、こちらはなんと150枚以上もあった。サターン版開発時は、これらは日野さんが原画を描いて、清水さんが色を塗ることで、この膨大なイベントシーンの数を実現していた。今回は清水さんが不参加になるため、日野さんが彩色までやるというが、本当に間に合うのだろうか? さらに「これくらいはやらないとファンが喜んでくれないよ!」と、新キャラクターと新イベントまで追加することにした。
PS2版で追加されたアヤメマツリ(左)とハーセルド(右)
最後にサウンドについては、全イベントシーンに声優による音声会話を加えることにした。
かなり魅力的なリメイク要素が揃った。プロデューサーとしての経験が乏しかった僕は、スケジュールに不安は残るものの、予算内に収まるのであれば問題ないだろうと、これで開発をスタートさせた。
数か月後経つと、心配していた問題が現実のものとなった。やはり日野さんの仕事が多すぎるのだ。パッケージイラスト、メインキャラのプロモーション用全身イラストを描いたところまでは順調だったが、キャラクターイラストに苦戦。イベントシーンは、線画までは用意できたものの彩色に取り掛かれなかった。また、流用だからと安心していたプログラムも、何か要素を追加するたびに不具合が発生した。サターン版の開発は紆余曲折を経ていたので、かなり不安定だったのだ。
主にプログラムの問題が原因で開発スケジュールは大きく遅れてしまっていたが、それでも絵は間に合いそうもない状況だ。描かれたイベント原画はすべて無駄になってしまうが、この部分のリメイクはあきらめるしかないのだろうか……。
しかし! その後思いも寄らない事件が起き、プロジェクト最大の問題は解決してしまった。なんと『Shinobi 2』の開発が中止になったのだ。アメリカ側の意向によるものだった。そしてディレクターだった清水さんは、これを機にセガワウを退社し、漫画家になると宣言した。社内は大騒ぎになったが、清水さんは笑顔で僕に言った。「フリーになるから、これで色塗りの仕事は引き受けられるよ」
数日後合流した清水さんは、早速ディレクター・スキルを発揮し日野さんの作業をマネジメント。サターン時代のコンビ復活で、みるみるイベント絵が完成していく。すべてのプログラムの不具合が解決した頃には、諦めていたすべてのイベント絵のリメイクが間に合ってしまった。
PS2版(左)とSS版(右)
このPS2版『ドラゴンフォース』は、力を入れたビジュアルのパワーアップが目を引き、『週刊ファミ通』などメディアも大きく紹介してくれた。おかげで販売も好調、もちろん購入者からの反響も上々だった。
発売からしばらくして、成功を祝して皆で再び居酒屋に集まり打ち上げを行った。そして清水さんは笑いながら僕に言った。「こんなに短期間でたくさんの絵を塗ったことは無かった。イベント絵1枚あたりにかけた工賃も含め、昔アニメ会社で働いていた時よりも大変だったよ」。
この時ばかりは顔が青ざめた。
PS2版顔グラ(左)とSS版顔グラ(右)
そして、本作のスケジュールが延期を繰り返していた間に、SEGA AGES 2500は大きな転換期に入っていた。開発を取り仕切るD3パブリッシャーがプロジェクトから手を引くことになり、3D AGES社が解散することになったのだ。その後はセガ単独で継続。僕は新たに今後のシリーズ全体の面倒を見るプロデューサーに抜擢された。それにあたり会社もセガワウからセガへと転籍した。
こうして本格的に僕の”移植人生”がスタートした。エムツーの堀井さんと出会うのは、この少し後のことだ。
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最後にこのPS2版『ドラゴンフォース』は、なんと今もPS3用PlayStation Storeにて購入可能です。PS5が活躍中の現在、PS3を現役で使っている方がどのくらいいらっしゃるかわかりませんが、ご興味のある方は是非ご検討下さい。価格は762円(税別)です。
(c)SEGA
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