東京都荒川区町屋。
3月いっぱいで閉業してしまった子宝湯の見納めをしてから、西の方へ向かうことにした。天気もいいし、ここからは電車には乗らず歩いて行ってみよう。
ピーク時には40路線もあった“東京都電車”最後の生き残り路線である都電荒川線。各停留場の間はだいたい数百メートルほどで、線路沿いを散歩するとすぐに次の停留所が現れる。するとなんだかたくさん歩いたような気分になり楽しくなってくる。
それに都電は通常の電車と比べ線路脇の民家との距離が近く、周辺の建物の建ち方も独特の雰囲気がある。のんびり走る一両編成の電車とともに共存する町並みは昭和の景を色濃く残しており、散歩をよりいっそう楽しいものにしてくれる。
“尾久の原防災通り”という変わった名前の道路を渡る。第二次世界大戦時に空襲による町の延焼を防止するため、周囲の建物を疎開させた上で敷設し、拡幅した道路は“疎開道路”と呼ばれた。その名称が少しマイルドに残されたのがこの“尾久の原防災通り”だそうだ。東尾久三丁目駅から熊野前駅を通過し、さらに宮ノ前駅まで来たところで時刻は12時を回っていた。いい頃合いだ。そろそろお昼ご飯にしよう。
宮ノ前駅前から続く女子医大通りは小さな商店街になっている。少し前までは近くに東京女子医科大学医療センターがあったからこの名称なのだが、隅田川を越えた足立区に丸ごと移転してしまい、意味不明になってしまった。
通りをしばらく歩いていくとあるのが、とんかつの「どん平」だ。荒川線の車内で見られる“燃える酒鍋”“ニュータッチとんかつ”という謎のメニューとインパクトのあるイラスト広告でお馴染みのお店である。
どん平はとんかつの名店として有名だが、もうひとつ女優の安藤玉恵さんの実家としても知られている。安藤さんは独特の雰囲気と色気を持ち合わせたバイプレイヤーとしての印象が強い女優で、私は映画『探偵はBARにいる』で、大泉洋演じる探偵をやたらと誘惑するが素気なくあしらわれる喫茶店の女性店員役に惹かれてから、意識するようになった。彼女の実家が荒川線車内でよく広告を見ていたとんかつ屋のどん平と知り、さらにその周辺を調べてみると、どん平から数十メートルほどいったところに、阿部定が愛人男性の局部を切り取った“阿部定事件”の現場、待合「満左喜」があったことを知る。
安藤さんへの印象にもどこか情の深い女性像を感じており、なにか重なるものを感じたんだなー……などと回想にふけっていると、注文した『とんかつ定食』が運ばれてきた。
とんかつの上からたっぷりとかけられたデミグラスソースがテラテラと妖艶な光を放っている。端からつまんで一口かじると、肉の繊維を食いちぎる感触……ではなく、ホロリと崩れるような意表を突く食感。しかし、コロモはあくまでサクサクでこれらが一体となって、広告の惹き文句にある“ニュータッチとんかつ”を形成している。これはもうご飯で追いかけずにはいられない。
豚バラ肉を一度煮てからコロモをつけて揚げることで、赤身はホロホロ脂身トロリという他に類を見ない一品に仕上げている。しかも、肉にはすでに火が通っているから繁忙時の提供時間も短縮でき一石二鳥というアイデアだ。
ご飯、味噌汁、キャベツのおかわりも自由ということで、心ゆくまでこのニュータッチなとんかつを堪能し、大満足でお店を出た。ここからさらに荒川線沿いを西に歩いていく。
宮ノ前駅から2駅をブラブラしながら歩き、荒川遊園地前駅に到着。といっても、目的地はリニューアルオープンしたあらかわ遊園ではない。あらかわ遊園のゲームコーナーは、はるか以前に消滅しており、リニューアル後にそれが復活したという話も聞いていない。どうぶつ広場のカピバラに餌をあげて触れ合いたい衝動には駆られるが、ここはぐっと堪えてスルーしよう。
向かったのは荒川遊園地前駅からすぐの場所にある「プラレールが走るカフェ 子鉄」。
入口の扉を開けると、まず高層化した巨大なプラレールタワーが目に飛び込んでくる。プラレールが走行するサウンドもけっこうなボリュームだ。お店の奥の部屋のほうが少し落ち着いているが、せっかくだしプラレールがよく見えるにぎやかな席に座った。
眼の前のプラレールタワーは十数段ほどに組み上げられ、その内部を様々な種類のプラレールが走っている。これだけで電車好きの子供のテンションは最高潮間違いなしだ。乗り物としての電車は好きだが特段詳しくもない私でも、この迫力にはちょっと興奮せざるを得ない。注文を済ませてトイレを借りるために階段で2階に上がってみると、そこには『電車でGO!』の筐体が置かれていた。
『電車でGO!3 通勤編』(タイトー/2000)は、大ヒットトレインシミュレーションゲーム『電車でGO!』(1997)『電車でGO!2 高速編』(1998)に続く第3弾。走行路線選択だけでなく、朝・昼・夕方・夜の運転時間帯を選ぶことができ、上級者向けの“鉄人モード”、持ち時間なしで自由に運転できる“ファミリーモード”など遊びの幅を広げているのが特徴だ。電GOを象徴するマスターコントローラー前面の計器パネルには運転士が使う懐中時計を置くスペースが設けられているのがなんとも心憎い。
それにしてもこのお店の狭い階段で、この筐体を2階までよく上げられたものだなと感心する。プレイは100円で2回できるようだが現在故障中で遊べないのは残念。またいずれ再訪する際のお楽しみとしよう。
1階に戻ると、注文したケーキセットが運ばれてきた。この日のケーキはバスクチーズケーキ。濃厚で滑らかな口あたり、ホイップを少し付けていただくとこれまたオツで、午後のひとときにぴったりマッチする。
場所柄どうしても土日祝日はとても混むお店なので、心ゆくまで“電車でGO”したい大きな子供たちには平日昼間がオススメ。いっそ仕事の打ち合わせをこのお店でしたいくらいだが、プラレールの音がかなり大きいので大声で商談することになるだろう。
飾られたプラレールグッズなどもじっくり堪能し、やや疲れが出始めていたタイミングで入れた甘いケーキと休息で足が再び息を吹き返す。あと少しだけ散歩を続けられそうだ。
荒川車庫前駅では、電車の運転士交代や都電おもいで広場にある古い都電車両などを楽しみつつ、次の停車場である梶原駅近くまでやってきた。
ここには商店街“ショッピングロードかじわら”(梶原銀座通り)がある。銘菓“都電もなか”が有名な菓匠 明美もある通りなのだが、人通りはまばらでちょっと寂しい。やはり商店街の活気を取り戻すのは決して容易なことではない。
しばらく歩くと見えてくるのが赤庇テントの商店「デイリーマート イマヤ」だ。店頭には特売品であろうか、マスクやお菓子が並べられ、その奥にお馴染みの10円ゲーム『カーレース』と『キャッチボール』が設置されている。
じつは以前訪れた時、お店は閉まっていた。事前に調べていた情報では営業日だったのだが、その時はコロナ禍だったこともあり臨時休業なのか、はたまた閉業してしまったのかはっきりとわからなかった。その後もなんとなく調べたりしていたものの、結局は行ってみるしかないと思っていた。
こうして無事、営業していることが確認できてホッと安心したところでカーレースを1回プレイ。10円玉を押し込み、レバーで慎重に弾いていく。このタイプの10円ゲームをプレイし続けてかれこれ50年近く経つワケだが、一向に上手くはならない。レバーのバネの具合はお店によりまったく異なっており、店が変わればそれは初めてのプレイとなんら変わりがないからネ……などと言い訳めいたことを考えていたら、あっという間にハズレゾーンへと10円玉は吸い込まれていった。こうも邪念があっては余計に上手くいくハズがない。
まだ少しだけ足の余力が残っていたので、デイリーマートイマヤから真横にひと駅分ほどスライドしたところにある駄菓子店・青木屋にも行ってみた。これまで何度か訪れてきたものの、入る勇気がなかなか出ないその迫力ある佇まいに圧倒され、今回もまた入店は叶わなかった。
どうやら焼芋屋さんとしての一面もあるお店のようなので、秋口になったらまた来ようそうしよう次回こそ入ってみせる! と心の中で固く誓い、また痛くなりはじめた足を引きずり、すごすごと都電荒川線栄町駅へと引き返すのだった。
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