新潟県燕市。
旅は前回からの続き。喫茶ロンドンからブラリと歩いてJR弥彦線燕駅で電車を待つ。ここから新潟市方面に向かいつつ、気になっていたスポットに立ち寄っていくことにした。
まずは2駅目の東三条駅で下車。歩いて10分ほどにある駄菓子屋・フリースペースの三条ベースに到着するも、12月30日ということもありすでに年末の休業に入っていた。前回紹介した、全日本テーブル筐体愛好会会長のヒジヤン氏がゲーム機を設置しているスポットとのことで一度は訪れてみたいと思っていたのだが致し方なし。
駅へと戻り、今度は信越本線で新潟方面へ向かう。次なる目的地は新津駅だ。私が新潟に住んでいた頃はまだ新津市だったが、いつのまにやら新潟市と合併して新潟市秋葉区になっていた。新津は鉄道産業で発展し、JR信越本線、羽越本線、磐越西線の三路線が交差する鉄道の要衝だ。かつての賑わいこそ失われているが、新津鉄道資料館や総合車両製作所があったり、蒸気機関車・SLばんえつ物語号が定期運行するなど現在も鉄道で町おこしをしている“鉄道のまち”なのである。
ひとけの少ない新津駅前から歩くことしばし。やってきたのは駄菓子屋さん「昭和基地一丁目C57」。C57で「しごなな」と読ませる鉄道仕様だ。店内に入ると、懐かし系グッズが所狭しと飾られた昭和を演出した展示が出迎えてくれる。さらに食堂ではソフト麺や揚げパン、ハムカツなどが堪能できる給食セットといった軽食も味わえる。また、2階ではお好み焼き、もんじゃ焼きなどが楽しめるのだそう。急ぐ旅でなければもっとゆっくりしていきたい……。
店の奥の方に行ってみると、左手には昭和の茶の間を再現した休憩所。よくよく見ると置かれたグッズの時代が微妙に錯綜しているが、そういう細かいことを気にしてはいけない。赤いブラウン管テレビの上にはファミコンとスーパーファミコンが並んで置かれていた。「スーファミは平成だろ?」とか言うんじゃない!
右の壁沿いには10円ゲームが数台。『ピカデリーサーカス』(コナミ)は1976年発売の元祖ではなく2000年モデル。『NEW新幹線ゲーム』(ジャレコ)は1976年にニシキ製作所から発売された元祖新幹線ゲームではなく、なんなら10円玉を弾くタイプでもないメダルゲームだったりするが、これはこれで珍しい。
例によって駄菓子をしこたま買い込んでから次のお店へ向かう。少し歩くとレトロなアーケードがかけられた商店街が見えてきた。ここ「にいつ0番線商店街」はかつて新津駅にあった磐越西線の0番線ホームにちなんで名付けられた。その商店街で営業しているのが「にいつ駄菓子の駅 +昭和のなつかし屋」だ。こちらの駄菓子屋さんにも先程と同様に昭和の部屋を再現したコーナーがある。こういうのが流行ってるんだろうか?
そして、ここの小型テレビには任天堂のテレビゲーム15がセットされていた。やはりどの時代でも任天堂は強い。
ちょっとした休憩スペースとして利用しているらしきテーブル筐体がポツンと一台。トラックボールに3ボタンという操作系だけでピンとくる、ご存知『ミサイルコマンド』(アタリ/1980)のタイトー純正台だ。
使い込まれたコンパネはサビが浮いてきており、トラックボールはちょっと沈み気味。しかしながら独特の雰囲気と存在感が店内で異彩を放っている。お店の人に聞いたところもう動かないそうだが、それもいつものことなので気にはしない。ここにあるのを眺めているだけで十分幸せだ。
ここでも駄菓子を買ってから店を出る。どうも遠出の旅はスケジュールを詰め込みがちになる。あそこも行きたい、ここも寄りたいで丸々と膨らんだ行程をこなすには、一店あたりの滞在時間が制限されるのもやむを得なし。なんだかお店には申し訳ない気分ではあるが。
次にやってきたのは、以前から一度は訪れたかった銭湯、新津温泉。
新津は、明治後期から大正にかけ日本一の産油量を誇った油田がある“石油のまち”でもあった。1996年に採掘が終了し産業としては終焉を迎えたが、石油の里公園では当時の採油の様子を偲ばせる施設を見ることもできる。
1951年に石油掘削していたところ、突如として湧出したのが新津温泉で、その匂いは石油や灯油のような油臭がする。もちろん油が溶け込んでいるワケではないが、とろりとした泉質を持ち、湯冷めがしにくいとの評判だ。人によっては酔ってしまいそうなクセのある匂いではあるが、泉質といい雰囲気といいまさに唯一無二と言っていいだろう。建物の入り口から浴室に行くまでのアプローチがまた素晴らしくて、ここを通ることで石油で栄えたあの時代にタイムスリップする感覚も味わえる。
ここまでの強行軍の疲れをたっぷりと温泉で癒やしたら、いよいよ新潟駅へ向かう。
そこから実家に帰る……と見せかけて、今日は新潟駅近くに宿を取ってある。たまにしか帰省しない身なので、一旦実家に戻ったが最後、なかなか外出しにくくなってしまう。今回はせっかくなので31日もあちこちブラブラしたいということで、実家には泊まらずビジネスホテルを予約したのだ。地元というのは実家があるが故にホテルに泊まる機会がまずないものだ。でも実はコレ、意外と楽しくて新たな発見もあるのでオススメしたい。
とは言うものの。新潟駅の周辺で気になる“ゲームあるき”スポットはあまり見つからなかった。新潟市は日本海側では随一の大都市だが、大都市であればるほど、自分が求めるレトロなゲームスポットは姿を消している。子供の頃の思い出のゲーセンなどは、本当にただのひとつも残されていないのが実情だ。
ホテルにチェックインしたあと、ブラリと外に出てみる。雪が降るどころか道路脇の残雪すら見当たらない。一般に新潟というと雪国のイメージが強いと思われるが、新潟市は県内でも降雪量が少ない地域だ。少ないとはいっても、子供の頃は積もった雪でカマクラや雪だるまを作れたものだが、ここ20年くらいは年末の帰省時に道を覆うほどの積雪があったことは一度もない。それが地球温暖化を一番実感する点だったりする。
そろそろお腹も減ってきたので、気になっていた東万代町のカレー店・天狗商店に行ってみたがもう年末休業に入っていた。デスヨネー。こちらにはどうやらミニアップライト筐体が置かれているようなので、またの機会を狙ってみることにしよう。
さらにそこから少し歩いたところにある、こちらもカレー店のkoharuCURRYには『スペースインベーダー』純正のテーブル筐体がある……のだが、今回は営業時間に間に合わず。やはり長距離行程は予定通りにはいかないものですなぁ。幸い一昨年に来訪することができていたので、写真だけでもどうぞ。
ちなみに、この辺りにある沼垂テラス商店街は、いい感じにくたびれた感じと今風の新しさが融合した雰囲気がたまらないので、新潟市にお越しの際はぜひ寄ってみていただきたい。
すっかり空っぽになった胃袋と検討に検討を重ねた結果、夕食は沼垂東にある食事処・かじか茶屋の納豆ラーメンでいくことに。なぜ新潟で納豆ラーメン? とお思いでしょうが、地元で名物を食べる必要がないのが出身者のメリットなのだ。
やや薄暗い店内には常連らしき女性が1人に、店主とその女将さんの計3名のみ。繁華街からも外れた場所の入ったこともない食堂で、その地の名物でもないものをいただく。この上ないひとり旅の醍醐味である。
あっさりとした醤油ラーメンに溶き卵と泡立てない納豆を合わせ、少しとろみを付けてある。細かく刻んだ豚肉と玉ねぎっぽいシャキシャキとしたなにかがアクセントとして効いている。これまで地味ライフワークとして食べてきた“納豆麺”のいずれとも異なる味わいの発見に、ひとりほくそ笑む。あとは〆銭湯をキメて、ぐっすり眠るだけ……。
ビジネスホテルでの爆睡から目を覚ませば、今日は大晦日。昨日の天気とはうってかわって時雨模様で、駅チカのホテルにして正解だったなどとボンヤリ考えつつ白新線に乗車する。あっという間に東新潟駅に到着し、雨も気にならない程の距離にある新潟のローカルスーパーマーケット、キューピット石山店へ。
スーパーにあるゲームコーナーというのは意外と侮れない。こちらもなかなかのラインナップで『デイトナUSA』(セガ/1994)『レイブレーサー』(ナムコ/1995)『オーバキューン』(ナムコ/1999)『パニックパーク』(ナムコ/1998)といった大型筐体モノから、『ツインビーヤッホー! ふしぎの国で大あばれ!!』(コナミ/1995)『ストライカーズ1945Ⅱ』(彩京/1997)『ときめきメモリアル対戦ぱずるだま』(コナミ/1995)といった通好みの基板タイトルが並んでいる。
過去には『クライシスゾーン』(ナムコ/1999)『ファイナルラップR』(ナムコ/1994)、そしてミッドウェイ開発、SNK販売のガンシューティング『インバシオン』(1999)があったらしい。なにそれ見たことない。
なぜか見事なまでに90年代に統一されたシブくピンポイントでぶっ刺さるゲームたちをセレクトしたリース業者がこの近辺にいるということになるのだが、ひょっとしたらまだ誰にも知られていない未知のゲームコーナーがこの近くのどこかにあるのかもしれないと思うと、意味もなくワクワクしてくる。
このあとも新潟市街の個人的な思い出のゲーム跡地をブラブラと巡ったのだがすべて跡形もなく、私しか楽しめないので割愛させていただく。
翌1月1日元日午後に能登半島地震が発生して、実家の庭の灯籠が崩れ落ち、棚に置かれた品物がすべて落下するなど散々な帰省となったが、懸案のお店をいくつか回ることができたことはよかった。今度は夏頃に帰って、まだ未訪のスポットを巡ることにしよう。暑い新潟は苦手なんだけど。
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