埼玉県さいたま市大宮区。
朝6時のJR大宮駅宇都宮線下りホームは人が少なかった。
昨晩は大宮にあるスーパー銭湯に行き、体がふやけるほど何度も風呂に浸かって仮眠室で爆睡した。ひとり旅の時はよくスパ銭を利用する。お風呂はデカくて入り放題、館内着があって楽ちん、座敷の大広間でダラダラとメシを食って好きなだけゴロゴロし、眠くなったら仮眠室で眠る。宿泊の予約もいらず、それでいてお財布にとても優しいので、いつも行き当たりばったり旅の強い味方だ。
そんな毎度の儀式を経て、ちょっとだけ早起きした朝。まだまったく覚醒していない頭に喝を入れつつ、こうして大宮駅のホームの端に佇んでいる。
入線してきた列車が間違っていないことを何度も確かめてから乗り込み、まだ誰もいない澄んだ空気のボックスシートに座る。
しばらくすると列車は動き出し、車窓はやがて日本の田園風景を映し出しはじめた。
ほんの30分ほどで栗橋駅に到着。時刻は朝7時くらい。
改札を出て東口の階段を降り、駅前をぐるりと眺めてみる。
栗橋駅は東武日光線も通っている駅だが、駅前はちょっと寂しい。ましてや早朝ということもあり人の姿があまり見当たらない。とりあえずボンヤリ歩き出す。
本日の目的地は、“オートパーラー”だ。若い方はご存知ないかもしれない。
1970年代、自動販売機の普及と提供商品のバリエーションが大きく広がり、うどんやそば、ハンバーガーなどの軽食を24時間給する無人の“自動販売機食堂”が国道沿いなどを中心に発展した。この業態を「オートパーラー」「コインスナック」「オートレストラン」などと呼称した。
1980年代に入ると、24時間営業のコンビニエンスストアやファストフード店が急増し、それに伴ってオートパーラーは斜陽化。現在では全国でも数えるほどしか残されていない、いわゆる“昭和遺産”となった。
1990年代から2010年代頃までは、ほとんどの人の記憶から忘れ去られた存在となっていたが、昨今になって自動販売機からそばやうどんが出てくるメカニカルでレトロな様子が静かに人気となっている。数十年を経て見直されはじめたものの、食品を作って機械の中にセットする手間は今も昔も決して容易ではなく、なおかつ自販機の耐用年数もとうの昔に限界を迎え、今となっては経営者の意気と意地とで続けられているところが多いのが実情だ。
また、都市部と都市部を結ぶ幹線道路沿いに自動車運転の小休止を目的としたサービスエリア的に作られたケースが多いため、基本的には都心から離れた場所にあることがほとんどだ。クルマで寄ることが前提である以上、駅チカである必要もない。関東では群馬県が圧倒的に多く、続く栃木県、埼玉県、千葉県、茨城県にポツポツと存在。神奈川と山梨にはなぜかほとんどないという生存状況だ。つい先日、NHKの『ドキュメント72時間』で「全国うどん自販機の旅 群馬編」が放送され、公式サイトではマップも公開されているので参照いただけるとわかりやすいだろう。
すでに夜も明けきった曇り空のスッキリしない天気の中、歩道もない道をとぼとぼ歩く。以前に何度か来たこともあり、お店までのルートはだいたい覚えていた。
その途中の街灯看板に「EPSON 計算センター」という看板がまだ残っていた。
このあたりののどかな雰囲気にあまり似つかわしくないが、ここにはかつてエプソンのオフコン計算センターがあったようだ。エプソンは会計事務所向けのオフィスコンピューター事業を長い間続けていたメーカーなので、こうした施設は全国各地に点在していたんだろうな、などと思いながらその前を通過。
さらにしばらく歩いて、埼玉県道12号川越栗橋線に突き当たる。ここまでくればもう視認することができる。この日の目的地「オートパーラーまんぷく」だ。
2023年7月初旬、「オートパーラーまんぷく」閉店の報がSNSにもたらされた。
界隈から悲しみの声が上がり、私もまた衝撃を受けた。コインランドリー、コインシャワー、飲料自動販売機に食品自動販売機。さらにはゲームコーナーまでも完備するオーセンティックなあのコインパーラーまんぷくが無くなってしまう……。
思えば子供の頃、新潟県の小さな町に住んでいた私がアーケードゲームに触れたのは、駄菓子屋とコインスナックの存在が大きかった。国道116号線沿いにあったコインスナック「ヤマサ」で『歌うインベーダー』(MUSIC INVADER/サンリツ電機)の「♪私バカよね~おバカさんよね~」に感激し、そこから少し南下したところにあったコインスナック「ルナパーク」では、当時噂で聞いた“5円硬貨を使ってクレジットを入れる方法”を悪気なく試して速攻で見つかり、店内で正座させられ店主から滔々と説教されるといった、現在の人格形成に大いに影響を及ぼしてきた場所だった。
そうした時代の雰囲気とニオイを2023年になっても濃厚に漂わせていたのが、このオートパーラーまんぷくであり、そこが閉店すると聞いて居ても立ってもいられなくなりはるばるやってきた、というワケだ。こんな早朝にやってきたのも、子供の頃にこっそり布団を抜け出して訪れた24時間コインスナックのあの脳裏に焼き付いた光景を味わうためなのだった。
早速コインランドリーのある方の入り口から入ってみると、かすかな石鹸の香りと少しすえたような匂いが一体となって鼻孔をくすぐる。どうやら空調が止まっているようだった。自販機を順番に見ていくと「故障中」と貼り紙がされたものが多い。以前に食べたここの天ぷらうどんは麺の分量を減らしてあり、天ぷらは1/4サイズにカットされたものが乗っていた。そのぶん値段も安くしてあり、ちょっと小腹を満たすにはちょうどいいサイズなところに優しさを感じたものだった。
そのうどん自販機の向かいには、3台のニューアストロ筐体がある。1台はレバー1ボタンコンパネ、2台は麻雀コンパネで、中央の台では『花札 華簪』(ダイナックス/1996)が稼働している。ふとコンパネを撫でてみるとホコリでざらついており、ここ最近はプレイされた様子がない。
一旦外に出て、もうひとつの入り口から入ってみると、そこには『上海Ⅲ』(サンソフト/1993)がある。ただ、インストラクションカードは『デッド・オア・アライブ2』(テクモ/1999)のままだ。さらに先ほどと同じ並びのアストロ筐体には、『ザ・キング・オブ・ファイターズ2003』(SNKプレイモア/2003)のインストもあった。
さらに、このお店の2階にはゲームコーナーがある。
やけに急な階段をゆっくり登ると、薄暗くこじんまりとした空間にはパチンコ、パチスロ、その奥にはエアロ筐体とアストロ筐体が計4台が置かれている。お客さんの1人もいない朝の静けさもあり、どこか現実離れした不思議な雰囲気を漂わせていた。
子供の頃、早朝にこっそり家を抜け出して自転車で訪れたコインスナックのゲームコーナーはまさにこのイメージだった。軽いトリップ感に目眩を感じながら、手近の椅子に腰を下ろし、じっくりとその場の空気を堪能する。こびりついたヤニの匂い、時折聞こえてくるアトラクトデモ音、目の端から飛び込んでくるディスプレイからのチラチラした光、県道を走り抜けていく自動車の音までもが渾然一体となって、40数年前のあの光景を再現していた。
ふいにどっと目の奥から涙が溢れてきた。バカバカしいと思うだろうが、本当に泣けてきた。
懐古趣味というのはこうした思い出成分を多く含有しており、そこに触れたときの刺激が醍醐味ともいえる。同時に「これにてオサラバ」という場面に否応なく立たされ、凹まされることも多い。あの店の閉店が決まったから最後に行かなきゃ、というような行動を極力避けてきた時期もあったのだが、今はしっかり受け止めたいと思うようになった。どうせ最後は自分自身が“オサラバ”するのがさだめならば、それまでは好き勝手に思うがままに在りたい。
1階に戻って、うどんなどを食べるテーブルの上を見たら一冊のノートが置かれていた。来訪者たちの思い出や気持ちなどを書くために設置された自由帳で、パラパラめくってみると、ここを訪れた人たちの率直な気持ちが多数綴られていた。昭和からのオートパーラーにふさわしい、昭和の記念記録文化だ。短くお礼だけを書いて、ペンを置いた。
ふとアストロ筐体に目をやると、コインシューターのすぐ脇になぜか一円玉硬貨が積まれているのが見えた。かつてはゲームプレイの予約としてシューター脇に百円玉を積み上げていくローカルルールがあったが、この一円玉はどこかの誰かによる別れの儀式なのかもしれない。財布から一円玉を取り出すと、一枚を積まれた上にそっと乗せてお店を出た。
2023年7月29日14時、40年に渡って営業してきたオートパーラーまんぷくは閉店した。特に地方においてオートパーラーがゲームセンターとイコールだった時代があった。わずかに残されたオートパーラー、コインスナックにはまだゲーム機が置かれているところもある。いつかはそのすべてに訪れてみたいと思っている。
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