【第4回】千葉県佐倉市「珈琲 GORO」

千葉県佐倉市六崎。

JR総武本線・成田線の佐倉駅ホームに降り立つ。

sakura city station

このあたりはゴルフかサバゲーの趣味でもないとあまり縁がないエリアかもしれない。どちらの趣味も持ち合わせていないが、以前DIC川村記念美術館に行くためにここで降りたことがある。その時何を見に行ったのかはまったく記憶にないが。
改札を出て駅の北口の階段を降り、駅前ロータリー越しに街を眺めると、いかにも総武本線の千葉駅以東といった風情を濃厚に漂わせている。

今回の目的地はかなり駅チカらしい。ロータリーの端を歩いていくと、なんともう看板が見えてきた。改札を出てからわずか1分。なんか得した気分だ。
GORO siginboad

小さな集合住宅の1階にある小体な喫茶店「珈琲 GORO」は、本当に駅のすぐ真ん前にあった。駅側に向けて大きなガラス窓があり、待ち合わせにも便利そうだ。ガラス扉を引いて入店すると、カウンターが数席にテーブル席が3卓、そして一番奥に“テーブル筐体”が見えた。

さて。
この連載も4回目にして、初めての天然の“テーブル筐体喫茶”ということになるので、ここからは自分の流儀を説明しながら進めていきたい。

そもそも“テーブル筐体喫茶”とはなんぞや?
1978年発売のビデオゲーム『スペースインベーダー』(タイトー)の大ヒットで爆発的に製造販売され、日本全国へと広まった業務用汎用ゲーム機器が、通称・テーブル筐体だ。それまで欧米などでは立ったままプレイする“アップライト筐体”が主流だったが、日本では置き場所を問わないテーブル形状へと発展し、コーヒーや料理などを置くことができることから喫茶店でも広く活用されることとなった。ちなみに欧米では同様の形状をしたものを、カクテルグラスを置くことができることから“カクテル筐体”(Arcade cocktail cabinet)と呼ぶ。

インベーダーブームの収束後は、ポストインベーダーを目指し様々なビデオゲームのヒット作が生み出されていくことになるのはご存知の通り。ただし、『スペースインベーダー』がビデオゲームブームのピークであったということは否定できない。街のあちこちのスペースに隙あらばと置かれていたテーブル筐体は徐々にその数を減らしていく。
そんな中、営業上テーブルの必要性の面で親和性が高かった喫茶店という場では、ブームとは関係なくテーブル筐体が使用され続けるケースが多かった。それは、故障してゲーム機としての役割を終えた後も、ちょっとかさ張るテーブルとしてそこに在り続けた。
時代は昭和から平成、そして令和へ。三代をまたいで生き残ってきた数少ないテーブル筐体を使用した喫茶店を“テーブル筐体喫茶”と定義し、その生存状況を確認しに行くというのが、この散歩の目的のひとつなのだ。

店内に入り、一旦立ち止まって店内を見回す。この時点でテーブル筐体を目視できたならばできるだけその近くに、可能であればその卓に座りたい。
GOROは入り口から見える位置に確認できたが、コントロールパネルの一方が窓にくっつくように配置された、いわゆる“お一人様卓”になっていた。このケースは注意が必要で、常連さん御用達の席の可能性がある。

そこでひとまず、その隣の席に座ることにした。
振り向けばテーブル筐体という絶妙の位置取りに軽い興奮を覚えつつ、何食わぬ顔をして着席する。
次はオーダーだ。言うまでもなく、喫茶店に入ったらなにか注文せねばならない。テーブル筐体だけを写真に収めてすぐ退店するなどもってのほかだ。
注文はその時の気分で、飲み物、軽食なんでもいいだろう。
もし幸運にもテーブル筐体卓に座れた際には、そのガラス天板の上に何が置かれたらいい写真が撮れるかという観点でメニューをチョイスしてみるのも面白い。
年代にもよるが、意外とテーブル筐体の上に置かれた料理を食べる経験をしていないことと思う。それは80年代に入り、テーブル筐体が急速に喫茶店などの飲食店から姿を消していったため、ゲームセンター・ゲームコーナーに置かれたテーブル筐体でゲームをした経験はあっても、その上で飲食をする経験は70年代後半から80年代前半という限られた期間しか味わうことができないものだったことによる。
この日は、6月だというのに暑さが厳しかったのでクリームソーダにしてみた。
CREAM SODA

クリームソーダの発祥は明治時代で、“懐かしの~“という枕詞がピッタリ合うことから、同じくレトロアイテムに並べられるテーブル筐体とはすこぶる相性がいい。カラフルなソーダと白いアイスクリームが盛られたグラスとテーブル筐体は、ぜひ少しロングショットからの写真を撮ってみてほしい。

カウンターでは、常連と思しきお父さんがテレビの野球中継を見ながらマスターと歓談していた。その様子になんとなく耳を傾けつつ、窓の外を見るフリをしながらテーブル筐体の観察を始める。二本脚スタイルの筐体に麻雀のコントロールパネル。ボタンはカラフルなタイプではなく、アクリルに包まれたオールドタイプ麻雀コンパネだ。画面は14インチくらいだろうか、かなり小さい。コンパネの脇にあるはずのコインシューターを探すと、こちら側には見当たらない。どうやら窓につけられた側が1Pのようだ。つまり、この麻雀ゲームはプレイ不可であることを暗に示している。
ARCADE cabinet

しばらくすると、野球談義を終えた常連さんがお金を払って帰っていった。ほかにお客さんのいなくなった店内は静寂に包まれる。しばし間を取ってから身体を横に向け、目を細めテーブル筐体をしばらく眺めた後、「このゲーム機、懐かしいですね」とマスターに声をかけてみる。
この際、“テーブル筐体”などという専門用語を使用してはいけない。ここは“ゲーム機”もしくは“麻雀ゲーム”と一般にもわかる平易な言葉で語りかけることが肝要だ。
マスターは、この卓は近所にあったボウリング場に出入りしていた業者が設置したものだと教えてくれた。そのボウリング場・佐倉パークレーンは1972年開業で2010年に閉店となっている。インベーダーブーム時にはボウリング場にも多くのゲーム機が置かれたため、おそらくこのお店はその時代から営業していることが推測できた。

この喫茶店をどのくらいやっているのかをズバリ聞いてみると、今年で48年目との返事。つまり、1975年からの営業ということになり、それはまさにインベーダーブームの少し前ということになる。
さらに、この麻雀ゲームをずっと置いていたのかと訊ねると、“ブロック崩し”“インベーダー”“パックマン”“ギャラクシー”、その後に麻雀に変更されたとのこと。インベーダーよりも前のブロック崩しからゲーム機を導入していたとは、先見性のある意欲的な店作りじゃないか。
そしておそらく『ギャラクシアン』(ナムコ/1979)のことを「ギャラクシー」と呼ぶこの感じがまた堪らない。それは単純な記憶違いかもしれないし、デッドコピー品だったのかもしれない。あるいは『ギャラクシーウォーズ』(ユニバーサル/1979)など“ギャラクシー”と名のつくゲームが次々と生まれた時期でもあるし、そのどれかの可能性もある……などと、たったこれだけのやりとりなのに妄想は尽きない。

その後も、インベーダーブームの時は、2日に一度は業者がお金を回収しに来るくらい売上がすごかったというエピソードや、麻雀を設置したあとしばらくしてその業者が廃業することになり、テーブル代わりにと現在の卓を置いていったことなどを聞かせてくれた。「そこから10年くらいは、メンテナンスもせずに動いてたかな」ということらしい。するとこのテーブル筐体は2000年に入ってからゲーム機としての仕事を引退し、喫茶店のテーブルとして現在も働き続けている、ということだ。
ゲーム機も人間も、セカンドキャリア、サードキャリアがある。どこにいても、どんな生活でも、自分らしく居れることがなによりだなとしんみり思った。
テーブル筐体の写真その2です

クリームソーダをいただきながら小一時間ほど話を聞き、許可をいただいて写真を撮らせてもらった。お金を払って「ごちそうさまでした」と言って店を出る。しばらく歩いてからもう一度振り返って、お店の全体像を眺めてみる。
48年もの間、この地でじんわりと営業を続けてきた気負いのない店構えがどこか頼もしく見える。地元の人達に愛されながら末永くお店を続けてほしい、心からそう思って駅に向かった。
GOROの外観です

 

 

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著者紹介
さらだばーむ

目も当てられないほど下手なくせにずっとゲーム好き。
休日になるとブラブラと放浪する癖があり、その道すがらゲームに出会うと異様に興奮する。
本業は、吹けば飛ぶよな枯れすすき編集者、時々ライター。

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