【第10回リレーブログ(後編)】元HyperLib、MACPOWER編集者保坂ぽぽなす
<プロフィール>
保坂ぽぽなす 1969年横浜生まれ
情報系専門学校を卒業後、出版の世界へ。MAC+,HyperLib,MAC POWERなど主にMac系の雑誌編集部を経てフリーのライターに。「Illustratorの王様」など、多数の書籍を執筆する傍ら、イラストレーター、WEBデザイナーとしても活動する。
<前回までのあらすじ>
城みちる似の学校スタッフの紹介によって、PC系の出版業界へと足を踏み込むことになったぽぽなす青年。3年におよぶ丁稚奉公を経て、ついには憧れだったASCIIへと潜り込むことに成功した。
これはFP-1100から始まったパソコン人生がPC-8801を経て、Macintoshへと辿りつき、
あるパソコンの存在が一人の人生を大きく変えたという超巨大スペクタクルロマンの後半である。たぶん…。
前編はこちらです。
■HyperLib編集部へ配属
PCワールドを辞めて、とくに就職することもなくブラブラとフリーのライター稼業のようなことをしていると“ぽぽなすくんヒマ~? いま“ハイパーリブ”って雑誌やってるんだけど、今度富士通から「FM-TOWNS」ってマシンが発表されたから取材に行ってくれない?”と、先にPCワールドを退職した元Mac+副編集長だったSさんからお声がかかった
(本来ならば、この元副編集長のSさんが如何に「オバQに出てくるラーメン大好きの小池さん」に似ているかを力説したいところなのだが、残念なことに本編とはあまり関係ないので割愛させていただくことにする)。
1989年に発表されたFM-TOWNSは、国内では初めてCD-ROMを標準装備した32bitのパソコンだ。「TOWNS OS」という独自のGUIを搭載し、DOSもどきも走る本格的なマルチメディアマシンという触れ込みだった。
これまでMacintoshをイヤというほど使ってきた身としては、今さら感がプンプンしてくるパソコンなのだが、そこは無難にこなし、この仕事がきっかけとなってHyperLib編集部で働くことになった。
HyperLib誌は、ハイパーメディアに関する情報誌で、正確にはASCIIとは別会社の「アスペクト」という出版社から発行されている。のちに、ASCIIの代表でもある西和彦氏が、趣味である「オペラ」の雑誌を発行するために設立された出版社と聞かされたのだが、オペラの雑誌がそうそう売れるわけもなく、そのまま休刊となり、アスキームックとしてHyperLibやDOS/Vなどの関連誌を発行する会社となったわけだ。
しかも、今回はアルバイトとしてではなく編集者待遇である。試用期間を経て契約社員を前提とした雇用となるので「ファミ通」や「LogIn」を夢見ていた身としては、ちょっと残念だったが、ここらでしっかりと編集の仕事を覚えておきたいという気持ちと、やはりASCIIというブランドの元で働けることに多いな魅力を感じて、斡旋をお願いすることになった。
■二人の「アニメオタク」を取材する
1990年代初頭は、世に言う「ハイパーメディア」ブームが巻きおこっていた。猫も杓子もハイパー。右向いてもハイパー、左向いてもハイパー。しまいには「ハイパーメディアクリエイター」なる肩書の人物が現れて、元子役のアイドルと結婚したりする始末だった。
しかし、実際にはというとハイパーなのは掛け声ばかりで、世の中にはそこまでハイパーなネタがホイホイと転がっているわけではない。“どこかにネタは転がってねぇか~!”と、定期刊行の雑誌編集者にありがちな「ネタ・ゾンビ」あるいは「ネタ・なまはげ」と化して、常にハイパーなネタを探していた状況だ。
そんな中、Nチーフがどこから仕入れてきたのか“ぽぽなすく~ん、吉祥寺にHyperCardを使ってアニメーションを作ってる人たちが居るらしいから取材に行ってみようよ”とお声がかかった。このNチーフ、人はいいがPCに関する知識があまりない。たまにトンチンカンな間違いをすることで社内では有名ではあったものの、ネタ・ゾンビとしては渡りに船とばかりに取材へ行くことになった。
吉祥寺の駅を降りて、違法駐輪された自転車の波をかき分け、ようやく取材場所に指定された小さな雑居ビルにたどり着くと、20代後半くらいの男性が二人が事務所内に迎え入れてくれた。
一人は、小太りメガネの風貌で早口で自論をまくしたてるという、教科書どおりのオタクタイプで、もうひとりは大人しく、時折メガネの人に合わせてうなずいたり、Macintoshの操作をする陰キャタイプのオタクだった。
如何にも「あっち側臭」の漂う二人が見せてくれたのは、アニメーションのスタックだったが、要はスタックを使った「パラパラマンガ」だ。こちらの興味が引きかけているにも関わらず、メガネをかけたオタク風の青年が、ここの動きが…、この爆発シーンが…と、かなり熱く語ってはくれるものの、残念ながらハイパーなネタとしては弱い。
帰り際にNチーフと二人で“大した記事にはなりそうもないですね…”と肩を落とし、再び違法駐輪の波をかき分けて編集部に戻ったのだが、このオタク風味な青年二人が数年後に「エヴァンゲリオン」という作品で世を騒がすことなろうとは、ネタ・ゾンビの二人には知るよしもなかった…。
■新雑誌「MACPOWER」創刊!
Macintoshが日本で発売された当初、国内での評価と言えば「高い玩具(あるいウェハースのチョコレート)」という認識でしかなかったが、1990年代に入り、漢字TALK7(通称「おにぎり」)がリリースされる頃になると、仕事にも使えるという認識が一気に広まって、Macintoshの需要がうなぎ登りになるという現象がおきた。
HyperLibは、雑誌の性質上Macintoshの話題を多く扱ってはいたものの、ハイパーメディアという縛りからははみ出すことはできなかったので、Macintoshに特化した雑誌を創刊しようということになった。「MACPOWER」である。
HyperLib編集部のほとんどのメンバーがそのままMACPOWER編集部へスライドされた形になり、もちろん自分も創刊号のメンバーに選ばれた。HyperLibに来てから2年がたとうかとしていた時期だった。
HyperLibは隔月刊の発行なので、割と締め切りにも追われず、のんびりとした雰囲気のなかで仕事をすることができたが、今回創刊されることになったMACPOWERは月刊誌だ。毎号の特集周りも自分たちで考えて構成しなければならず、月に一度は特集の企画を決定する会議が行われるようになった。
目下の課題は創刊号の特集記事をどうするかだったが、HyperLib編集部ではハイパーメディア関連の縛りにいささかウンザリしていたこともあって、ネタは豊富に抱えていた。その甲斐あってか創刊1,2号の特集記事は自分の企画が採用された。
問題は“書き手探し”だ。当時、あまりにも急速にMacintoshへの需要が高まったため、情報の送り手が不足していた。多くのライターがMacintoshへの知識はあっても経験がない。そういう状況だった。
幸いにもPCワールド時代に培った知識と経験があった自分は、編集側として自分でも原稿を書きつつ、過去の人脈を頼りになんとか特集の記事を仕上げることができた。特集を担当したことで編集者として自信を深める一方、沸々とフリーへの思いが強くなり始めていたのだった。
■再びフリーランスへ
MACPOWER編集部の方針が固まりつつあるなか、自分の中でやりたいことも増えてきた。もっと色々なネタにチャレンジしてみたかったし、この頃にはイラストやデザインの方にも興味が強くなってきていた。Macintoshライターとして需要の高さも相まって“乗るしかないでしょ、このビッグウェーブに!”とばかりに再びフリーへの転向を宣言した。
編集部内でも、書き手の不足は共通認識だったので書き手が増えることへの歓迎の方が大きかったように思う。その証拠にF編集者が“じゃあ来月号から連載よろしくねん~”とごく当然のように依頼してきたからだ。
編集時代に暖めていたネタの一つとして、毎回グラフィックツールの使い方を解説するというネタがあった。単なるツールの使い方を解説するのではなく、マウスを使って絵を描くためのコツを紹介すると言う内容だ。F編集者との打ち合わせで、新連載の内容はこれに決まった。
それともう一つ以前からチャレンジしてみたいことがあった。「データ入稿」である。
現在では印刷所へ、レイアウトデータをオンライン入稿するなど、ごく当たり前だが、当時はまだPC-98を使って原稿を書き、フロッピーに入れたテキストデータを写研コードへ変換して、電算写植で印画紙にプリントするという流れが主流だった。
ところがApple社がLaserWrite NTX-Jを発表したことによって、日本語のアウトラインフォントがリリースされると、Macintoshから印画紙への直接的な出力が可能となり、一気にDTP(DeskTopPublising)への流れが加速したのである。
当時、Aldus社からも日本語に対応した「PageMaker」というレイアウトソフトもリリースされていたので、新連載ではぜひデータ入稿にチャレンジしてみようということになった。おそらく商業誌では初の試みとなるはずである。
問題は日本語フォントが「中ゴシック」と「細明朝」しかない点だ。どうしても紙面にメリハリがつかない。見出しには中ゴシックに線の設定を含めさせて少し太くするなど、そのくらいの工夫しかできなかった。それでも何とか、原稿を書き、レイアウトまで担当して、無事誌面に掲載されることとなった。
しかし、毎号ネタを考えつつ、イラストから原稿書き、レイアウトまでこなすのは大変だった。結局、連載は5回くらいで断念させてもらい、以降評価レビューやイラストなどでMACPOWERとはお付き合いしていくことになった。
■ありがとうMacintosh
その後は、ASCII以外にも多くの出版社とお付き合いも増え、テクニカルライターとして活動しつつ、イラストの仕事やMacroMind Directorなどを使ったCD-ROMやアニメーション開発のお仕事などをさせてもらい、充実したフリーランス生活を送らせてもらった。
ところが40代に差し掛かると、突然Macに飽きてしまった。ひとつにはWindowsの進化によって、マシンがMacintoshである必要がなくなったことと、インターネットの出現によって、PCを取り巻く環境が大きく変わったことが原因かもしれない。
このように人生の大半をMacintoshと過ごしてきたわけだが、今では我が家に稼働するMacはない。生活を支えてきてくれたMacintoshには感謝するけれど、ジョブズなきAppleに何の魅力も感じなくなってしまったのだ。
今では必要最低限なお仕事だけを受けつつ、PC-8801やFM-7などレトロPCを並べて昔を楽しむセミ・リタイア生活を楽しんでいる。惜しむべくはギル・アメリオのCEO時代にApple社の株をしこたま買い込んでおけば…と思い返すだけだ。
(保坂)