目次
いきなり難航
困った。初手から詰まった。
本来、ここでは、とある画像を掲載したいと、小学校の頃から持っていたとあるパズルの写真を撮ろうと、探したのですが。見つからない。ため息をつく。
そのパズルと、そのパズルを解いた何十もの解答を記したノート。
それを写真に撮ろうとしたのだけれど、その物自体が見つからない。
やれやれ、です。T△T;
で、そういう訳な物ですから、自己紹介から始める事とします。
鶴田道孝、というのが私の名前です。
で、何をやったヒトかというと、テクモから発売された「ソロモンの鍵」というかなりムリゲーに近いゲームのゲームデザイナー、というのが、判りやすい自己紹介かと思います。
その他、「つっぱり大相撲」「キャプテン翼」なども担当しました。
その後、テクモを退職して、あれこれやって、今、この記事を書いています。
さて。どうしても、冒頭で書いた、とあるパズルの話をしてしまいたくて、という思いが強いので、もうしばらくその話にお付き合い頂ければ幸いです。
ペントミノ
それは、箱の中に詰まった、そう、テトリスのパーツのようなプラスチックが詰まったゲーム 。それを一度全部箱から取り出して、もう一度詰め直す。ただそれだけのゲーム。
そして、そのパーツの位置関係で、詰め方に数万だか数億だかの詰め方があると言うのが、当時のコンピュータで解かれた数。
ええと、今から、そう、40年以上前のお話し。
そして、うまく詰たのを記録したのが、先に見つからなかったノート。
さて。どうして、ペントミノにこれほど執着するのかと言いますと。
かの有名なパズルゲーム「テトリス」があるからです。
テトリスはご存知ですか?もし知らなかったら、ここでググってください。はい、では知っている前提で。
続けます。
アレクセイ・パジトノフ氏が作った伝説的なパズルゲームで、氏のインタビューで、「ペントミノを使った知能検査用のアプリ」からできたそうで。
なんだって!それを読んで驚愕しましたよ。
それこそ、すり切れるくらい遊んだペントミノ。それがテトリスになったとは!
とまあ、そんな訳で、パズルゲームを作った私としては、なんとも言い様ない思いが、テトリスとペントミノにある訳です。
迷路
ペントミノと同じくらい小学校の頃に遊んだのが、迷路。
雑誌に載っている迷路を解いていたのが、いつの間にか、自分で迷路を書くようになりました。
初めは行き止まりのある迷路を作っていたのですが、その内、行き止まりは全くない迷路を良く描くようになっていきます。
どうしてそうなって行ったかと言いますと、正解のルートが書いた本人にも判らない迷路に仕上がるので、書いて遊び、解いて遊ぶ、というのが出来るから。
そんな迷路をぎっしり書いた大学ノートが確か、3〜4冊あったんじゃないでしょうか。
残念な事に、これらのノートは実家が解体される際に処分されてしまったようです。
テーカンへの入社
そんな小学校時代を経まして、大学の2〜3年の間の春に、バイトをしようとアルバイトニュースを見ました所、アーケードゲームのキャラクター作成、というバイトを見つけました。募集していたのはテーカン(後のテクモです)。で、大学で学んでいたのが、アニメーション。オタクですね。だものだから、早速面接に行きました。そしたらです。「川から流れてきて、当たったら痛いモノ、描いて」と面接の方がおっしゃいますから、それをせっせと描きました。ところが、その面接の方、途中で内線がかかってきたと思ったら、そそくさと席を外し、2時間経っても戻ってこない。
仕方なく、ひたすらせっせと「川から流れてきて、あたったら痛いモノ」を描き続けましたよ。ようやく戻ってきた面接の方、「まだ描いてたの?」みたいな反応をされまして、少々、とほほな気分で御座いましたが、その粘りが功を奏したのか、採用となりました。
この面接の方が、後のウエストンの西澤さんです。
もしかしたら、この連載の流れでご登場されるかもしれません。
ちなみに、その「川から流れてきて、あたったら痛いモノ」が必要だったゲームは、テーカン初のアーケードゲーム「スイーマー」の敵キャラクターでした。
その後、バイトからそのまま正社員となると言う、おそらく今ではあまりないパターンでの入社となりました。
ソロモンの鍵
入社して、また、あれこれアーケードゲームの開発をやっていましたが、その当時の上司が、上田和敏氏。
Mr.Doの作者、と言えば、分かる人には判ると思います。
で、ソロモンの鍵の開発が始まって、途中で上田さんがアトラスの創設に関わりテクモを辞めて、心細い中、ソロモンの鍵の製作が続いたのでした。
ソロモンの鍵は、もともとの名前は「ストーンメイズ」。
それが、アトラスの創始者であり、その当時テクモの営業部長の原野さんが「ソロモンの鍵」と命名し、そうなったのでした。
まあ、原野さん、上田さんの退社の際には、業界独特のドロドロした何かがあった感じですが、ここではそれはヒミツです。
まあ、そんな訳で、初めは私がメインデザイナーで作っていたソロモンの鍵でしたが、てこ入れで上田さんが入り、その途中で上田さんが去り、もとに戻って私が再びメインデザイナーとしてあれこれ仕事をする、という流れで、元々は、アーケードゲームとして作られていたソロモンの鍵が、途中から、テクモがファミコンに参入すると言うので、アーケードの開発を中断して、ファミコン版の開発を行い、そのマスターROMが出来た後、再びアーケードの開発に戻り、同時発売、という会社の目論みが達成された、という顛末でした。
もう、インタビューを受けるたびに何度も言っている事ですが、と前置きしまして。ソロモンの鍵のあのムリゲー的な難易度についてなのですが。
どうしてあんな難易度を設定したかと申しますと、その当時のファミリーコンピュータマガジンとかいう雑誌が御座いまして、その雑誌に、小学生がそれはもう、やり込みまくったとしか思えないような、そう、いわゆる裏技を投稿していたので御座います。
まったくメディア慣れしていないテクモの開発スタッフは、もう、こう思ったのです。
「こんな事が判る小学生がターゲットなんだから、アーケード版より難しくて当然!」
間違ってます。
ええ、まったく間違ってます。
そういう小学生が居たとしても、極少数ですし、なかには、メーカーからの情報リークもあったという話さえ、後から聞いたように思います。(後に、ファミマガの関係者様から、リークは無かったと言うお話しをtwitter越しに伺い知りました)
兎に角。「アーケード版より難しくて当然!」という間違った指針が刺さった開発陣は、やれやれなコトに、「マイティボンジャック」「ソロモンの鍵」と拷問ゲーを作り続ける事になったので御座います。
まあ、今にして思えば、そういう拷問ゲーだったからこそ、人の記憶に残るゲームになったのかも、知れません。
ああ、そう言えば「ソロモンの鍵」に影響を与えたゲームが御座いました。アタリが1985年に発売した「ガントレット」です。テクモの開発スタッフの何人かで良く遊んだものです。そのグラフィックの独特な感触が、ソロモンの鍵のアイテム類に影響を与えています。といってもファミコン版では、色数が足りなさ過ぎて比べても全くわかりませんが、アーケード版のアイテムと「ガントレット」のアイテムを見比べると、その影響が良く判ると思います。
そうそう。こういう話が有りました。電話です。外部からの電話です。
おおらかな時代ですから、会社の受付経由で、開発に電話が回る事があったのです。
そういう時代です。で。どういう電話かと言いますと。
確か、小学校の先生が電話の主で、なんでも、卒業する生徒に、卒業式の会で、ソロモンの鍵を全面クリアして見せてあげると。
そうおっしゃったそうなのですが、何度やっても、とある面でゲームオーバー。先に進めない。
前述のような約束があるから、無理は承知で教えて欲しい、というお話でした。
で、解き方をお教えしました。
果たして、生徒の前で全面クリアできたかは知る所ではありませんが、今では考えられないくらい、ゆる〜い時代でした。
あ、思い出しました。ソロモンの鍵関連の後日談です。
東京ゲームショウで、確か「ZIPANG」だったと思うのですが、ソロモンの鍵の移植でキャラクターを変えたヤツをこっそりプレイしました。(あ〜、妖精がこういうキャラになっちゃてるのね〜)などと思いながら。
そしたら、コンパニオンの方がいらっしゃって説明をし始めるじゃないですか。もうね、すごく驚愕して、意味不明に恥ずかしくなって、しどろもどろでその場を逃げ出しましたよ。
べ、べつに何にも悪い事なんて何もしてないのに!
つっぱり大相撲
ソロモンの鍵の開発が終わりまして、その後、キャプテン翼の開発に入ったのですが、少々、問題が発生し、つっぱり大相撲の開発に携わる事になるので御座います。
なんでも、外部委託していたつっぱり大相撲の開発が遅延して、告知した発売時期に間に合わないとかで、社内で作る事になった、という。
ああ、他人事のように言っておりますが、でたらめにタイトなスケジュールです。
確か3ヶ月じゃなかったかな。
人員を説明します。(Wikiにかいてあるのと違っている所も御座いますが、まあ、そこはご容赦を。主に動いた人間という意味ですので)
メインプログラマー、サブプログラマー。
インゲーム(試合をする箇所)の企画、デザイン(ドット絵ね)は、私。
アウトゲーム(試合以外の箇所)の企画、デザインに別の人画一人か数人。
サウンドは一人。これだけですよ。
で、ぐりぐり作り続けるんですが、もう、大変でした。
一番大変だったのは、相撲、という競技性。
ひざから上が土俵についたら負け、というのは、かなりキビしくて、どちらが押している、負けつつある、というのが実に表現し難い。
それと、レベルアップと勝敗の演算をどうしたものかと、船で言えば座礁に次ぐ座礁、という状態でした。
プログラマは独自で勝敗決定をプログラムするわ、私は私で仕様を書くわと、想像してください、とにもかくにも、迷走していたのです。
でも、3ヶ月。そういう短い期間。
「勝敗決定のプログラム、消したから、仕様作って」
そんな中、メインプログラマがこう言ったんです。
なんだって。もうね、涙が出ましたよ。「消したの」「無いから」
まあ、後から聞いたらバックアップは取ってあったらしいですけど。
カチッ。
その時、何か、ギアが入った気がしました。
で、仕様を書き上げました。
それで、なんとか締め切りを乗り越えて、発売に到った、という訳です。
そうそう、もう一人とても助けて頂いたスタッフの方を忘れておりました。
力士のキャラクター、このキャラクターと言うのは8×8dotのグラフィック素材の最小単位の事なのですが、ROM容量に納める為、ひたすら共通のキャラクターを探しては手作業で圧縮する、という事を行っていました。
すると、ある力士のポーズが要らなくなったら、そのポーズに使われているキャラクターを削除すれば良い、という訳にはいかなくなったのです。だって、共通化していますから、他のポーズで使われているかも知れませんから。
でも、どのポーズで使われているか調べるのが容易では無い。ポーズデータの原本は紙で手書きなのですから。
そこで、その管理を行って頂くスタッフの方が加わり、なんとか乗り切ったのでした。
この手作業の圧縮の結果、512KBのROM容量でありながら、メガ(1024KB)ROMじゃないのか、という噂が立ったようです。
アバロンヒルのウォーゲーム
先ほど話した「つっぱり大相撲」「キャプテン翼」の勝敗決定のアルゴリズム。
元にしたのは、アバロンヒル社から出ていたウォーゲームの勝敗決定ルール。
このボードゲームは大学生時代とても好きで、よく遊んだものです。
奇しくも。メインプログラマは、演算のみで。
私はデータのみで、勝敗決定を求めようとしていたのですが、そのハイブリッドの形で、まとまったのが、最終的なつっぱり大相撲の勝敗決定でした。
その勝敗決定の手法は、そのまま、キャプテン翼の勝敗決定の手法に受け継がれて行きます。
「これ、つっぱり大相撲のと、同じ方法みたいなんだけど」
「そうだよ。あの時、思いついた方法だよ。翼でも使えると思ったから」
徹夜明け、じゃなくて、朝早起きして、仕事をしてましたのですが、そう語りながら二人で見た、朝焼け、良く覚えています。
元にしたウォーゲーム、押し入れを探したら見つかりました。
“Starship Troopers”、邦題では「宇宙の戦士」。ロバート・Aハインラインの小説を元にしたシミュレーションウォーゲーム。
小さいコマ をボードの上に重ねて乗せて動かすので、ピンセットが入っています。小さい箱は、その小さいコマを種類別に入れる為に自作したもの。
”TERRAN ATTACK TABLE ”というのが、戦闘の結果を割り出す為の表。
まず、攻撃力と防御力の比率を出しまして、そしてサイコロを振って1〜6の数字を出す。それに、地形などの修正値を加えて、0〜7の値に。その値と先の比率を表に当てはめて戦闘の結果を求める、という方法です。その形式に似せて、まとめたのでした。
そうそう。
このゲームを遊ぶのに、攻撃力や防御力の合計を出さないといけないのですが、この計算が地味にメンドクサイ。
もうこういの全部コンピュータがやってくれればいいのに!と何度も思ったもので御座います。
今、正にそういう時代になっているのですけれど。
当時持っていたのがNECから発売されたPC-8001無印。
それのBASICを使って、数値を入れたら、比率まで出してくれるプログラムを組んで、それを使いながらゲームをプレイしたのですが、途中で不具合が見つかって、結局、電卓で計算すると言う残念な結果に。
PC-8001で思い出すのが、よく動きのプログラムを組んで遊んでおりました。
その当時、大学の数学の授業で差分方程式というのを教わって、コレってもしかしたら、ビデオゲームのキャラクターを動かすのに使えるんじゃないの?
で、ドットが落下して行くのを
v=v+0.1
y=y+v
とかして、PC-8001で動かしたら、ちゃんと自由落下するものですから、それを見て面白がっていたものです。
キャプテン翼
いろいろと思い出はあるものの、これがテクモで在籍中の最後のゲーム。退職した理由はヒミツ。
いえ、マズい事は一つも無く、そうですね、言ってしまえば寿退社です。(笑)
でもまあ、その後も、テクモさんとは付合いが続き、ゲームを作る事になるので御座いますが。
キャプテン翼で良く覚えているのは。
まだ連載が続いている漫画原作を、その範囲でゲーム化したという、今で考えたら、かなり無謀な企画でした。いやそれなりに無理のある、でしょうか。
連載中なものですから、毎週発売される少年ジャンプを分解して、翼のページだけを資料としてとり出すのですが、真ん中にぶっとい針金が入ってて、バラすのとても大変でした。まあ、後では慣れてきて、それなりに手早くバラせるようになったのですけれど。
そんな中、突然出てきた必殺技。
ドライブ・タイガー・ツインシュート。
遊んだ方は覚えていらっしゃると思いますが、コレ、掲載されたのを見て、「これ、出さないとダメだよね」「だよね」という会話を、企画係長(だっけ?)としたのを覚えています。
で、ツインシュートの応用で組み込んで、なんとかなった、と言う次第。
そうそう。この頃、シャープのX68000を買って、それを会社に持ち込んで、データ打ち込みをしてましたっけ。
5inchのフロピーディスクのフォーマットがMS-DOSと互換があったので、それで打ち込んでいたのでした。
その後、テクモの企画にはX68000が導入されました。
あ。思い出した。
一度、フロピーディスクがクラッシュして、真っ青になった事が御座いました。バックアップを取ったのが1週間前。1週間分の仕事が吹っ飛んだ。;△;
事の次第を係長に報告した後、必死に復旧作業。なんとかなるもので御座います。
その日の内に復旧できたのですが、1日は消えてしまいました。
この当時、週の内、6日は会社に寝泊まりする生活で、借りていたアパートの部屋に戻るのは週に1日だけ。ほぼ洗濯するために戻っているような生活。
復旧できて良かったものの、消えた1日の事を思うと、ほげほげな気分でした。
あ、翼で何を担当したかをお話ししておりませんでした。
既にお話しした対決結果演算の部分、例えば、シュートしたボールとキーパーが接触した時、どういう結果になるか。例えばキーパーがキャッチングだとしましょう。シュートした「ボールの威力」、そしてキーパーの「キャッチングの威力」この二つの比率を出して、それにサイコロの代わりに乱数を使いまして値を出し、キャッチング用の結果表にその比率と値を当てはめまして、「キャッチ成功」「こぼれ球」「ゴール」「ゴールバーに当たった」などの結果を割り出す。
この仕組みを考えたり、表を作ったりしました。
また、サッカーに詳しいスタッフの方とお話して、選手を動かす方法を仕様書に落しました。難易度データはそのスタッフに方に作って頂きました。
内部処理はこんな感じで、試合中の全体フロー、そして、画面上部に表示されるアニメーションのシステムの仕様設計、データ作成を行いました。テクモでは、翼の画面上部に表示されるアニメーションシステムの事を「コンテシステム」と呼んでいました。コンテは、映画やアニメーションを作る際に使う「絵コンテ」から。このコンテシステム用の絵コンテは、それはもう、イヤになるくらい描きました。当時はWordなどありませんから、全部手書きで、同じ絵を何度も書かないといけなくて、それはもう大変でした。今なら、コピペで (ry。
自分と競う
手書き、というので思い出しました。
1ページの仕様書を書く時間をストップウォッチで計測して、そのレコードを更新しようとしていました。
どうしてこういう事をしようと思ったか、と言いますと、大学でアニメーションを教えて頂いた月岡貞夫先生が、東映動画時代、1枚作画するのに何分かかるかを計測して、早く描く訓練をしていた、という逸話を教えて頂いたから。
面白いもので、このやり方を続けていた所、ある時から、この仕様は何ページで書ける、というのがぼんやりと判るようになり、そうすると、1ページ何分だから、何時くらいには書き上げられる、と予想できるように。
かなり過密な作業環境でしたから、何時くらいには終わる、と判るのは、何時には眠れる、に直結していましたから、精神的な負担が随分減ったのでは無いかと思います。
何時までかかるか判らない仕事は、ただ、それだけで精神力を使うものですから。
両手の中に燃え盛る魔法の炎
今回の連載で、私を指名されたtksさんとは。あ、彼の原稿を読んでいないので、重複する部分もあるかも知れません。その際はご容赦を。
彼とは大学時代に知りあい、その後、ゲームを作る上で何度もチームを組んだ方です。
で、なんでこのタイミングで出てくるかと言いますと。
キャプテン翼を作っている最中、たまに、アパートに帰った際、一緒に飲んだ事がそれなりにあるのでした。
その中で、「今、面白いゲームを作ってるんだ。今までに無い、新しいのを」と熱く語ったものです。
その時語る私の胸の内には、こういうイメージがありました。
両手の中に、燃え盛る魔法の炎を抱えているイメージ。
きっと、その魔法の炎は小さくなったりする事はあっても、消える事なく、まだ私のとこかにあるものですから、未だにゲームを作り続けているのだと思います。
ロードランナー
tksさんの話を書いて、思い出したので、その流れで。
ロードランナーというゲームが大好きでした。
SMC-777CというSonyが出したパソコンを持っていて、寝る間を惜しんで遊んだものです。
で、これがどう繋がるかと言いますと。
ロードランナーでは、主人公の立ち位置の左右に穴が掘れる。
掘った穴に飛び込んで新しい移動経路を作る事も出来ますし、敵を穴に埋める事もできます。
掘った穴は、一定時間で復元されるから、穴に落ちた敵は消滅する。といっても、またしばらくすると、同じような敵がまた出てきて、画面内の敵の数は一定に保たれるのですけれど。
で、こう思ったのです。
穴を掘れるだけじゃなくて、埋める事も出来て、で、足下左右だけじゃなくて、主人公の左右にも出し消しで来たら…。
これがソロモンの鍵の出発点でした。
その後、頭突きで上のブロックも壊せるようにしたのですが、初めは1回の頭突きでブロックを壊せるようにしていたら。
まあ、なんという事でしょう、操作ミスで上のブロックを壊す事態が多発して、パズル性が破壊されるではありませんか!
という訳で、一度目ではヒビが入るだけで、二度目で壊れると言う仕様になったので御座います。
ところで、ソロモンの鍵は、初めはアクションゲームとしてスタートしたのですが、操作性がアクションゲームにしては難しく、紆余曲折、難航しました。
そこで上田さんがパズルゲームとしての再構築を提案し、その流れでパズルゲームとなったのでした。
アクションゲームとしての基盤の上に、パズルゲームが乗っているためでしょうか、奇妙にも高い完成度のゲームになったようです。
その続編と、思われている「ソロモンの鍵2」というゲームが御座います。
企画時の名称は「アイスキッド」。
そのソロモンの鍵2として発売されましたが、純粋なパズルゲーム。「ソロモンの鍵」というタイトルがついていたためか、あまり売れませんでした。
アクション性を期待しても、それがまったく無いのですから。
期待外れだった事でしょう。
ただ、販売本数が少なかった為か、未だにAmazonで高値がついているようで、前作とは別物、純粋なパズルゲーム、と高い評価を受けているようです。
人生もゲームも何がどうなるか判らないものです。
ピットマン
さて、そのソロモンの鍵2の前に、作ったと言いますか、移植したパズルゲームが御座いました。
X68000のフロッピーディスクメディア月刊雑誌に「電脳倶楽部」というのが御座いまして、毎月それが届くのを楽しみにしていたのですが、そこに「ピットマン」というゲームが掲載されます。遊んでみると、このパズルゲームなかなか秀逸。
その頃、tksさんが勤めている会社の仕事をしている関係で、このゲームをゲームボーイに移植してはどうかと持ちかけたのでした。
原作者との交渉などは会社にお任せして、私は、全体フロー、キャラクター作成(ドット絵)などを行ったのですが、ゲーム自体が地味な、と言っては失礼ですが、あまり動きのない詰め将棋的なものでしたので、キャラクターのアクションは出来るだけ派手にしたいと考え、ひたすら作り込んでしまいました。
その結果、パズルゲームとは思えないくらいのキャラクターのアクションに仕上がったようです。
当時何故か八極拳に心が向いていたものですから、石を押すのを背中で体当たりするなど、そういう技を仕込んだものです。
このゲームで仕込んだ「巻き戻し」という機能ですが、ソロモンの鍵2にも使われています。
この巻き戻し、今で言うUndoなのですが、面によっては途中に戻すより初めから時直した方が上手くいくケースもそれなりにあり、かえってゲームの難易度を上げる作用もあったのではと、後で気付く次第。
そうそう。後から、と言えば。
「スクロールさせた時、背景画像とキャラクターが少しずれるんだけど、どうする?」とプログラマに言われたのですが、ゲームボーイの液晶はとても残像が長く残るので、ほとんど気にならないからと「そのままで良いよ」と返事をしてしまいました。
それがその後、スーパーゲームボーイというTV画面でゲームボーイのソフトが遊べるハードが発売されて、その「背景画像とキャラクターが少しずれる」という軽微な不具合が白日の下に晒される事に。
嗚呼、手抜きは巡り巡ってしっぺ返しに来るものなので御座います。
キャプテン翼2
翼1を作り終わりまして、テクモを寿退社した後、フリーランスとしてキャプテン翼2の開発に加わる事となります。
今にして思えば、翼2は、その後もそれ以前でも最もきれいな軌道を描いて月に到達したロケットだと思います。
計画したとおりの軌道を通って、計画した通りの期日に完成すると言う、およそゲーム開発ではあり得ない事が起こった希有な例だと思います。
そうなりましたのも。翼1の時に、次に作るなら、こうしたら良い、こうしたい、というものがしっかりと、胸の内に、もちろん私一人では無く、スタッフ全員の胸の内にあったからだと思います。
必要な画像は何か。どういう表現が効果的か。そういう事を、ゲームを実際に開発し始める前に、しっかりと、容量を計算しつつ、全体像を形作り、共有する事が出来た為だと思います。
同じ選手のポーズでも、地面の角度を変えると、迫力が違う、などという事や、ボールが飛んで行く時に、どれくらいのパターン数があれば良いか等、細かい点まで抜き出して最適化できたのも、一度通った道をもう一度、良く見て、良く考えて歩いた成果だと。
その後も、3、4と関わりましたが、2が最も完成度が高いゲームだったと思っています。
MDキャプテン翼
ほげほげは逃げ出した。
しかし、翼は回り込んできた。
そう言っても良いのがメガドライブ版のキャプテン翼です。
フリーランスになって暫くして、テクモさんとは仕事が途切れ、そして、別のソフトハウスさんと仕事をする事が多くなりました。
その中にアースリーソフトという会社がありましたが、スタッフのほとんどがテクモを卒業した方々でした。
で、その会社が受注したのが、メガドライブ版キャプテン翼、なんです。
まさしく。
ほげほげは逃げ出した。
しかし、翼は回り込んできた。
という状況になったわけです。なんとか完成させました。
その際に知りあった方と、後に会社を作る事になるのですが、それはまた後で。
MD翼を作る際、データ圧縮とか、地面の3Dっぽいスクロールとか、あれこれ、X68000を使って、企画屋でしたがプログラムを組んでました。
メガドラのコントローラを複数繋ぐ方法とか、ラスタースクロールもどきをやってみて、MC68000を使っても、C言語だったらこの程度か、いや、私の力量だとこの程度かと、大いにげんなりしたものです。
モンスタータクティクス
tksさんの紹介で、マリーガルマネージメントという会社と知り合いになります。
ゲーム開発をしている人を支援するファンド、という会社だったと思います。
そこで、今は株式会社ポケモンの石原恒和氏と出会い、氏にプロデューサーをして頂いて、「モンスタータクティクス」と言うゲームボーイのゲームを作ります。
もちろん、個人では契約できないという話ですので、スパイラルという会社を設立。その役員の一人がtksさんで、もう一人がアースリーソフトの時に知りあったプログラマの方。
私が自宅で作業するスタイルだったので、会社は打合せをするだけのスペースで、各スタッフも自宅で作業して、掲示板でやりとりする、というスタイルでした。まだ、インターネットの常時接続、という環境が整っていない時代でしたので、会社に掲示板、データ保存用のサーバを置いて、そこに電話をかけて接続する、という運用の仕方。掲示板は、perlを使ったCGI。見様見まねで作り上げました。
モンスタータクティクスは、懐中電灯で暗闇を照らしていくような限られた視野の中で戦う、ターン性の少し変わったシステムで、任天堂から発売されました。
実に思い出深いゲームです。
任天堂繋がりですが、ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータの収録タイトルに「ソロモンの鍵」と「つっぱり大相撲」が入っているのを知った時、少しばかり誇らしい気持ちになりました。ムネアツでした。
紆余曲折
さて、その後は「自動車王」というWebゲームを作ったり、携帯電話ゲームを作ったり、PSPの「ジュエルサモナー」というゲーム制作に加わったりしました。
その後、ゲーム開発から離れて暫くしてから、iPhoneのゲームアプリ開発を始める事になります。
そして、「あの開発者はここにいた!」というネット記事の取材を受けます。
その記事を読んだとある方から連絡があり、久しぶりに会う事になるのです。
そのとある方、というのが、先ほど話に出た「ジュエルサモナー」でお仕事をご一緒したプログラマの二反田さん。今はローレル・コードという会社の代表をしているとの事。ローレル・コードでは主にVRの仕事をしていると言うお話でした。その日は「ジュエルサモナー」以降のお互いの状況を話したり、餃子を食べたりして別れました。
その数ヶ月後、ローレル・コードから仕事の依頼があり、現在、企画の顧問という形で一緒にお仕事をさせて頂いています。
何だか一周回って、元に戻った感じですが、人とのご縁というのは良く判らないものです。
ローレル・コードでは、PSVRのゲームも開発しており、現在、開発もかなり終盤に近づいてきています。
「Hyper Attraction Sky Games」というゲームで、そのサイトはこちらです。
このゲームでは、企画、ステージ構成、キャラクターの台詞などいろいろとお手伝いさせて頂きました。
こちらのゲームを、これを読まれた方が遊んでいただけるととても嬉しいです。
また、自主制作のiPhoneゲームも作っていますので、こちらも遊んでいただけると嬉しいです。作っているゲームは昔のゲームボーイくらいの規模のものですから、レトロゲームに近い雰囲気はあるのでは、と思います。
さて、次に書かれる方をご紹介致しましょう。
アーケードゲームの「ストライダー飛竜」というゲームをご存知でしょうか?
このゲームのデザイナーの四井浩一さんです。
四井さんとは、ウエンストンで出会いました。「ウィリーウォンバット」というゲームを作成している時で、彼も私もマップ作成スタッフとして参加しました。
私はパズルっぽい面を、四井さんはアクション性が高く、映像的にも凝ったマップを作成されていました。
彼がどんな記事をかかれるか、とても楽しみです。
あ、忘れる所でした。
この記事の冒頭で無くした!と書いたペントミノのノートが見つかりました!
こんな感じで、もうボロボロなのですが、懐かしいノートです。
中はこんな感じで、解いた答えをメモしています 。
さて、最後に。
もし、子供の頃に遊んだものを今でも持っていらっしゃいましたら、無くさないように大切にしてください。
それは、あなたの記憶と共に残る、かけがえのない宝物。