【第1回リレーブログ】元ログイン・ファミ通編集者 忍者増田様

 こんにちは。拙者、フリーライターの忍者増田と申す者でござる。元々、アスキー(現Gzブレイン)の『ログイン』(2008年休刊)や『週刊ファミ通』というゲーム誌で編集者やってました。このたびはBEEPさんから、「編集部に入るまでどのように過ごしてきたのか、ゲーム体験を中心とした自伝的記事を書いてください」という依頼を受け、推参つかまつりました。これから当時のことを思い出しながら、色々と書き連ねていこうと思うでござるよ。

 拙者がモニターを使うデジタルゲームにハマったのは、コロコロコミックに連載されていた漫画『ゲームセンターあらし』の影響が大きいです。小学校の高学年にもなれば、みんなそろそろ少年ジャンプを読み出すんですが、拙者は中学を卒業するくらいまでコロコロコミックを読んでいました。そういえば、当時の人気番組『8時だョ!全員集合』に陰りが見えても、『オレたちひょうきん族』にシフトできない少年でもありましたね。一度好きになったら、浮気できない性分なのでござる。

 ただ、『ゲームセンターあらし』を読んで「ゲームをプレイしたーい!」と思っても、そこは茨城の田舎町。ゲームセンターもなければ、ゲーム筺体自体もそうそう見ないわけです。なので、隣町まで遠征したり、レストランに置いてあるテーブル筺体を探したりなど、アーケードゲームをプレイするのはなかなかの苦労を伴いました。遠征時には、地元の不良たちに絡まれないよう、友達についていってもらうことも。運動部にも入ってないモヤシっ子でしたから、複数人に絡まれたら勝ち目はありません。そういうリスクがありながらも、やっぱりゲームをプレイしたくて、一生懸命自転車をこいだり、バスに乗ったりしていろんな町に出かけていたのでござる。思う存分アーケードゲームをプレイできるようになったのは、高校生になってから。拙者は千葉の高校に入学したんだけど、その周囲は茨城の地元よりは都会でしたから。ちなみに“佐原”っていう、古風な歴史的建造物も残る情緒あふれる街なのでござるが、そういった素敵エリアに目もくれず、学校帰りはデパート屋上のゲームセンターに一直線でした。しかし、電車は1時間に1本あるかないかだったので、一度逃すとエラいことに。『ゼビウス』の自機をたくさん残しながらも、ゲームを切り上げて電車に向かうなんてことも多々ありました。

高校時代。よくゲームを一緒にプレイしていた友人たちと、学校の校門で。

 自宅では、『ゲーム&ウオッチ』に代表される“電子ゲーム”なんかもたくさんプレイしていましたね。そのうち、バンダイから発売された『インテレビジョン』というカセット交換式の家庭用ゲーム機を購入することになるのですが、これで拙者の家が一気にゲームセンターと化しました。中学1年生の頃だったかな。まだファミコンが登場する前ですね。真面目な奴からトッポいヤンキー少年まで、様々な連中が拙者の家に遊びに来るようになりました。これで結構友達とのコミュニケーションを計れましたし、ゲーム機を買ってくれた親には感謝しています。インテレビジョンは5万近くしたでござるからな。ファミコンに比べると全然ヒットしなかったマシンだけど、ゲームのクオリティーは当時としてなかなか高かったことを思い出します。

 パソコンの存在を知ったのも中学生の頃で、きっかけはやはり『ゲームセンターあらし』。コロコロコミックに『ゲームセンターあらし』の主人公あらしと友人さとるがパソコンゲームを紹介する短編漫画が載り、マイクロキャビンの『ミステリーハウス』が紹介されていたのです。アクションゲームしか知らなかった拙者は、動詞と名詞を打ち込み進んでいくアドベンチャーゲームの存在を知り衝撃を受けました。そこからパソコン専門誌を購読するようになったわけでござる。当時よく読んでいたのは、ログイン、I/O、テクノポリスの3誌。ゲームの広告や記事を貪り読んでは、未知のパソコンの世界に胸ときめかせておりました。そして中2のときに、ついにPC-8801mkIIというパソコンを購入。叔母(残念ながら2017年の11月に亡くなりました)に連れられ秋葉原まで向かい、九十九電機で直接購入したのでござるが、そのときの顛末は、BEEPから出ている『エクストラマガジン第4号』に詳しく書きました。アドベンチャーゲームをやりたくて購入したパソコンですが、それからRPGというジャンルにもハマりました。『ザ・ブラックオニキス』は衝撃でしたね。拙者が初めて体験したRPGです。アドベンチャーゲームやRPGなど、アーケードゲームや電子ゲームにはないジャンルのパソコンゲームに惹かれ、中学校~高校時代は取り憑かれたようにプレイしていたなあ。プログラムを覚えてゲームを作りたいという野望もあったけど、テキストアドベンチャーを作った程度で挫折したっけ。

『エクストラマガジン第4号』

 拙者は当時、ログインの読者投稿コーナーによくハガキを送っていたのですが、今にして思えば、これが人生のターニングポイントでした。高校時代にはログインの常連投稿者になっていて、編集部の方にも名前を覚えられていました。実は、そのときから一人称は“拙者”、語尾は“ござる”という忍者キャラで投稿していたのです。また、ログイン編集部のスタッフが読者と電話で話すという企画もあり、拙者んちにも電話がかかってきたことがありました。そのとき話した編集者の方が、「増田くんも将来ログインに来なよ。給料は安いけど楽しいから」と言ってくれたのでござるよ。拙者は当時この言葉をすっかり信じ、大学に合格して上京したらログインでアルバイトしようと決めていました。結局、大学は現役では受からず一浪することになったのでござるが、浪人時代も勉強そっちのけでログインにハガキを送り続け、ポイント制の投稿コーナーで優勝し、賞品として“X68000 ACE”というものすごいパソコンを入手するに至りました。当時30万以上もするパソコンを、19のガキがただでもらったんですよ? もう狂喜乱舞どころの騒ぎではありません。ちなみにこのX68000はまだ所持しています。もう動くかわからないし、今度BEEPに売りに行こうかな。嘘です。なお、浪人時代はさらに、ログイン編集部に忍者装束を着て見学に行くという荒業までこなしました。「将来ここで働かせてくれよ」というアピールですね。そのとき当時の小島編集長(2015年逝去)に、「知ってるよ、増田くんだろ」と言われたのは本当に嬉しかったでござる。

まだ10代の頃、友人たちとログイン編集部に見学に行ったときの貴重な写真。拙者(中央)は忍者服! そして当時から変顔してたんだなあ。下で微笑むのは当時の河野マタロー副編集チョ。

 投稿を続けながらもなんとか大学に受かると、その年にログイン編集部から実家にまた電話がありました。「大学受かったんならバイトに来ない?」という内容でした。編集部の方は、当時の約束(?)を覚えていてくれたのでござる。東京の大学を選んだ理由なんて、ログインで働きたいからというだけだったし、もちろん速攻でオーケー。やがて、楽しいログインのバイトの日々が始まりました。まぁおかげさまで、ログインに比重がかかりすぎて大学は1年で卒業してしまったのですけどね。親には本当に申し訳なかったでござる。でも、あとでログインでバイトから契約社員にしてもらったときに、「お前が大学辞めてログイン1本になったときはショックだったけど、結局やり通しちゃったのはすごいな」と母から言ってもらえました。ちょっと目頭が熱くなりましたね。拙者はこれを「許してもらえた」と勝手に解釈しました。

 編集部在籍中の話はメインじゃないと言われているので駆け足で説明するけど、ログイン編集部には6年間在籍、その後フリーライターとしてやりたくなり、辞める方向で話が進んでいました。すると、同社内の週刊ファミ通編集部の編集長が「フリーになる前にうちでやってからでも遅くないだろう」と誘ってくれて、結果的に拙者はファミ通へ移籍という形になりました。そして週刊ファミ通で約3年間働いたあとフリーライターとなり、現在までなんとか食えています。忍者の世界で言えば許されざる“抜け忍”ですが、古巣から追手がかかるどころか、いまだにちょくちょく仕事をもらっています。ニンともありがたい話……。自分で言うのも大好きでござるが、円満に辞められた証拠です。今でも古巣を愛し応援していますぜ。でも他の出版社も仕事ください。

ログイン編集者時代の拙者。編集部では忍者服着用。左上には当時の上司・ほえほえ新井さんの姿も。今も仲良し。

 現在はゲーム関係以外のライティング仕事が増え、もう胸を張って“ゲームライター”とは言えなくなってきました。できると判断した仕事はジャンル問わずなんでもやっていますが、幅が広がっているのは自分でも嬉しいですね。忍者ブームの現在、実は冗談でもなんでもなく本気で“忍者”としての仕事が増えてきています。でも、忍者という職業は当然ながら秘密厳守なので、ここでは詳しい内容は言えんでござるよ。あしからず。

 これからフリーとして拙者がどうなっていくのか、自分でもよくわかりません。現在だって、昔から想定した状態と全く違いますからね。ただ、どんな仕事でもできるだけ“楽しんで”やっていきたいと考えています。自分でもかなり特異な部類のライターだと思いますが、みなさん、今後ともあたたかく見守っていただけますと幸いでござる。

 次は、拙者と同じようにゲーム誌の編集者からフリーライターとなった、松井ムネタツ殿にお願いしたいと思います。ニンニン。

 

忍者増田

茨城県生まれ。上京と同時に、PCゲーム誌『ログイン』編集部でアルバイトとして働き始める。忍者装束を着て誌面に出る編集者として認知度が高まり、その後、家庭用ゲーム誌『週刊ファミ通』編集部に移籍。現在はフリーライターで、ゲーム以外の分野のライティングも手掛ける。武蔵一族、夢幻陣、甲賀忍術研究会という、3つの忍者団体に所属。

2017年3月、著書『忍者増田のレトロゲーム忍法帖』上梓。
twitter「@Ninja_Masuda」

 

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