膨大な資料収集その飽く無き執念・・ 後編!
奇々怪界本、テレビゲーム綺譚、転清・アート・ドット・ワークス・・そのいずれでも読まれた方なら分かる、その愛情の深さと細かい考証、豊富な資料に裏打ちされる貴重な情報の数々・・これらの本の土台にはどのような資料達が使われたのか? ゲー夢エリア51のぜくう氏へのインタビュー 後編!
(B) 場所:埼玉マイコンセンター 聞き手:BEEP
ゲームファン必見!資料編
–ご自身の資料収集はどのように行っているんですか?
お金を出して買うのも勿論ですが、もう引退されたマニアの方に譲って貰ったり、友人・知人の引越しの際などに頂いたりと色々です。業界の方から有効活用して欲しいと頂く場合もありますし、その昔ゲームセンターを営まれた方に個人的にアポを取って、内容説明をしてお会いして資料を譲って頂く場合もあります。
–それではそうした資料を見せて頂きたいのですが、これはアーケードゲームのチラシですね。
最近ではこうしたフライヤー類はインタビューページの作品の扉として使っていたります。現在の本作りはアーケードが主戦場ですが家庭用も集めてまして、いずれ家庭用の本も作りたいと思っています。
TAITO エレポンのチラシ まだビデオゲームが黎明期の頃である。
–これは知らないゲームですね…。
これはコナミのスパーキーですね。テーカンのガズラーと内容がバッティングした為に没となったゲームです
–こっちはインストラクションカードですね。(通称インスト)
何気にデコカセのインストが・・。勿論全てオリジナルです。
インストも資料として使えるので重宝しています。
–これも実物は見たことありませんね…。
これはタイトーの没ゲーム、アタックドンドンのインストです。バブルボブルとBGMで繋がりのあることで知られる作品です。
–こちらは所謂豆本ですね。
アーケード関連は豆本なども収集しています。豆本とはメーカーがショーやロケで配布する攻略等が書かれた小冊子なのですが、こうした本も私が制作する本では活かせるので集めています。
–これも実物は見たことがないゲームですね…。
これはセイブ開発の幻のゲーム、ユカイツーカイの豆本です。ロケテストで配布されたものなので貴重ですよ。
そしてビデオゲームが盛り上がっていた時代のゲーム同人誌の資料へ・・
–-こちらはいわゆるゲーム同人誌ですね。
TAMPA・・・高岡・アミューズメント・マシン・プレイヤーズ・アソシエーションの略
画像はビタミンAM
富山に存在したサークルTAMPAがゲームサークル・ファンジンでは最も古い存在と言われています。このTAMPAメンバーにダライアスを企画した藤田朗さんやニンジャウォーリアーズを企画した辻野浩司さんが所属していました。
–これはゲームフリーク、有名ですね。
左は有名なゼビウス1億点への会報。しかもバージョン違いまで揃えている。
定期会報タイプ中央と、速報臨時的なバージョン、右のPETIT(プチ)タイプがある。
今やポケモンで有名になった田尻智さんが作ったゲームサークルとファンジンです。いわゆる裏ゼビ本ことゼビウススペシャルがグレートゼビウス(オリウス)のゲーム画面を掲載してて貴重です。
–これは後にゲーメストとなるVG3ですね。
日本最大規模を誇ったVG2の機関誌ですね。
この本が後にゲーメストとなりました。
–昔はこんなにもたくさんのゲーム同人誌が出ていたんですね。
左・ノイズ社長、見城こうじ氏のBGM。
写真右 左手 アリカ社長、西谷亮氏の闘幻狂。 その横は同アリカ副社長の三原一郎氏のテトリス本。
ここに紹介したものは極一部ですが、80年代中期から後期にかけてはゲームファンジン文化が最も華やいだ頃で研究・攻略・交流という側面から、ゲーム同人誌のルネサンスを迎えた時期だと思います。それはアーケードゲーム誌という観点から見れば、アミューズメントライフが出版され、廃刊し、各PC誌等でアーケード特集のページや付録が誕生し、やがて誕生する数多くのファミコン誌やゲーメストまでのミッシングリンクでもあったのです。当時はメーカー開発者がマニアに資料を譲ったり、マニアはマニア間でメーカーを盛り上げたりと言った持ちつ持たれつの関係がありました。そうしたことが誌面に遺憾なく現れているのでレトロゲームを研究する上で古い同人誌資料の研究は欠かせません。現在ゲーム業界で活躍されてる方も、この時代にゲーム同人誌を作っていた方が多いんです。こうした文化史も研究して本としてまとめられたら凄い価値があるだろうなと思うのですが、中々そこまで時間が及んでいません。
–ゲーム同人誌の歴史を本としてまとめることが出来たら面白そうですね。
ゲームのミニコミ誌の歴史補完なんてのは、そこに着眼するのは私だけだと思うし、残すことに意義はあると思うんですが、それが当人によって黒歴史になっていたりする場合もあるので難しそうです。いくら研究の旗を掲げて批評や報道の自由を謳っても当事者の古傷に触れてしまうようなことになってしまったら本末転倒ですから…。同人誌は一般販売されていたものでもないので…。だから何処までが研究の成果として許されるのか、というのは難しいですね。
–資料の収集はやはり相当苦労もあるわけですよね?
もうメッチャメチャ苦労してます。苦労しかないという感じで…。私はこのジャンルでは年齢が下の方なんですけど、それでも年齢不相応にものを持ってるのはお金を使っている以上に行動で稼いでいる部分が多いです。タイミングや運のようなものもあって、それを掴めるかが重要なことが多いです。結構連絡をあと少し早く入れられれば大量廃棄のサルベージが出来たなんてことも少なくありません。何回涙を流したことか…。そんな中かろうじて譲ってもらったり、買ったりで何とか揃えて行ってるって感じです。
–-これは・・・非常に貴重な資料ですね・・・現存するだけでも凄いと思います。
BEEP!メガドライブ誌などで紹介があったが、その貴重な手書きの草案書。
これを資料として譲られるとは、漆原氏側との信頼関係の上での事でしょう。凄い!
これは物凄い貴重な資料で、昔浅草にゲーム博物館ってあったんですけど、そのゲー博の設立素案書の中の一つですね。ゲーム博物館は漆原龍之介さんが運営されていたゲームセンターで、漆原さんは有名ゲームライターである渋谷洋一さんの師匠にあたる方です。漆原さんは国内ではかなり早い段階でいずれの官学設備の創立を目標にゲーム博物館を作られましたが、そこには至りませんでした。新しいゲーム博物館の構想もあったのですが、残念ながら一昨年逝去されました。晩年少しだけやり取りをさせて頂くことが出来ましたがゲームに対する変わらぬ情熱を何時までも持っておられて感銘を受けました。
–これだけ資料を持ってる人もそうそう居ないのではないでしょうか?
でも、ただ持ってるだけではあまり意味を成していないと思うんです。人知れずファイリングされてるとか、締まってあるとかって状態では貴重な資料が可愛そうだし、勿体無いと私は思います。勿論、私の友人にコレクターをやってる方も居ますし、コレクターのコレクションを否定するわけではないのですが、すでに資料の絶対数は少なく、方々に分散してしまい、テレビゲームの歴史を振り返ることは日々困難になって来ていると思うからです。そこで私は資料と知識を活かして、ゲームが好きな人々がみんなで楽しめるゲーム研究書を発行して行きたいと考えていまして、だからこうした資料が生きた資料となるのかは今後の私の頑張りにかかって来ると思います。メーカー関係の方からも「是非有効活用して欲しい」と資料を任されるようになりましたが、それを精査し研究して発表するというプロセスは本当に大変です。しかし、研究なくして本としての発表は有り得ません。レトロゲームの記事を書くのに資料が無い、調べないなんてのはハッキリ言って化け物と素手で戦うぐらいキツイことなんです。時間がかかってもテレビゲームの歴史にとって良い形で研究発表を歴史として残して行ければと考えています。
–そうした姿勢があるからたくさんの資料が寄進されるようになったと。
例えばこれも物凄い貴重な資料で、ギャラクシアンを作った沢野和則さんがインベーダーをどのように研究したかというレポートなんですが、こうしたものもしっかりと研究した上で残さないと全く資料として体を成さないと私は思ってます。このレポートからギャラクシアンが誕生するわけですから、この資料をしっかりと読み解き、未来に残せるのなら、ギャラクシアン開発史に一翼を担えるものが作れると私は思っています。でも一方でこれはそのままでは使えないだろうなとも思っています。
まさに歴史的資料でしょう、各メーカー共にこういった資料を保存しているところは非常に少なく
昔を知るには、既に失われたものが多くなってきている。
–そのまま使えないというのは?
著作権では著作権者の許諾無しに引用することを著作権法第三十二条で認めています。但し、それは公正な慣行に基づく報道・批評・研究のみに於いて認めているんです。私の本では画像資料や記事の引用を頻繁に行っていますが、引用には細かい決まりごとがあって、そうしたルールからはみ出ないように注意して作っています。部分引用なら問題はありませんが、そのままの大規模な引用、主従関係のハッキリしない丸写しでは知的所有権侵害に当たり、これには刑事罰が適用されます。かつて業界誌コインジャーナルが業界誌ゲームマシンの記事をそのまま流用して罰金刑が確定したことがありました。私は一個人の零細自費出版業なんで何も問題は起きないと思っていますが、そうした部分にも気を使っている次第です。
–法律も勉強されているんですか?
いえ全く(苦笑)。ただ、本の進呈をさせて頂いてから業界誌ゲームマシンの編集人である、赤木真澄さんに凄く認めて頂いて、解らないことや困ったことがあると相談に乗って頂いています。
–本作りで気を付けていることはやはり先ほど伺ったようなことですか?
メーカーにとって不利益になる情報は載せないということです。私が取材するのはかつてメーカーに在籍した、業界を引退された方が多いのですが、辞めたと言っても守秘的な契約は残っていることもあるんです。テレビゲームの開発史を残すことはとても意義があることだと思っているので、こうした点に配慮しつつ取材・研究をしているわけですが、何処までテレビゲームの歴史として残すのかという線引きは非常に難しいです。私はゲーム業界とゲーム開発者に向けてエールを送りたいと本を作ってる側面もあるのですが、ボタンを掛け違えて、業務妨害、名誉毀損に当たったら大変です。現場開発者からはかなりの声援を送られていると思うのですが、メーカーの営業や法務というのはまた別の視点を持っているので…。その為、取材対象者にはかなり時間をかけてインタビューテキストの校正をして頂き協議を重ねた上で、残す歴史を決定していってます。本として出版された記事にはかなりのカットが含まれるわけですが、取材上では載せることは出来ずとも後学として知っておいて欲しいという事柄も多く、本作りとテレビゲームの歴史を残すことはバランス感覚が必要だと痛感します。
–結構色々な苦労があるわけですね。
何処までがテレビゲームの歴史なのかの裁量を私が決めて良いのか?という判断は重いものです。ただ私が本で書いたことが歴史になることは間違いないので責任は重大だと思っています。私が書いたから残ったと思われる歴史もすでに多く、良くぞ本を作ってくれたという激励はかなりあります。しかし、私は何でもかんでも真実のテレビゲーム史を残そうと思ってるわけではありません。ゲームへの情熱が独りよがりなってしまったらダメですからね(苦笑)。先に述べたデリケートな部分に配慮しつつ、読者の知的好奇心に応える形で、読者の知識となり、共感を得る形で、ゲームの歴史を残せて行ければと考えています。
–本作りはかなり大変そうですね。
やりがいは凄く感じていますがとても大変ですね(苦笑)。大変というのは本当に何から何まで全部やってるからなんですが、ただ取材をしてる方には私が個人的にゲームの歴史を残して行く活動をしているというのは理解して貰ってるので、大変なことを迂回するようなことは無く、取材対象者の功績が最も良い形で残るように頑張って行けたらなと思っています。
–ぜくうさんお薦めのゲームの研究書というものはありますか?
これはもう先ほども名前が出た業界紙ゲームマシンの編集人である赤木真澄さんの著作「それは『ポン』から始まった」です。ビデオゲーム登場以前からの業界史が詳しくまとめられてて大変勉強になります。後にも先にも黎明期から円熟期までのゲーム業界史を記した本はこれしか無いんじゃと思えるぐらいの完成度で、ナムコ創業者の中村雅哉さんが「“人を選ぶ仕事”がある!」と帯に寄稿している通りに、業界の内面史を知り尽くした赤木さんならではの快作だと思います。業界史に興味がおありなら是非こちらを読んでもらった上で私の本も読んで頂ければより理解度や作品の評価が見えて来ると思います。
私も拝読しましたが、一般書籍では日本で唯一という程の内容。特に黎明期の
ビデオゲーム業界について詳しい。
–ぜくうさんの目標というのは?
目標というか夢は官学設備的なゲーム博物館なんですが、それはちょっと無理かなとも思ってます。歴史は浅いですが、テレビゲームの歴史は壮大です。しかも、広すぎて全方向の研究はかなり難しい存在です。でも、ある程度のゲームの博物史なら個人でも作れるのでは?と思い立ち行動を開始しました。今は本作りだけの生活ではないので、全てを本にというわけには行きません。これが仕事になったら面白いだろうなとは思いますが、やはりそれはちょっと無理だろうなと思っています。ただ試さず無理というのも面白くないので、今後も色々なことにチャレンジして行きたいと思っています。やっぱり研究というものに終わりはありませんからね。…何処まで戦えるか解りませんけども(苦笑)。
–ゲーム文化って凄い軽んじられてますよね。
ゲーム産業は日本版アメリカンドリームだったと思いますね。操業一代でこんなにも大企業がたくさん誕生した業界ってゲーム業界以外国内ではないのではないでしょうか?もっともかつて世界シェア7割強を誇ったゲーム産業も現在では3割ぐらいまで落ちて来てしまったようです。しかし産業の隆盛興廃が検証される機会はあっても、作品がどのような経過を辿って作られたか検証される機会が無いというのは寂しいものです。本当はそこが重要な筈です。勿論、作っている方々も自分たちが高尚な作品を作っていると思っていたわけではありません。『与えられた仕事と状況の中で良いものを作ろうと思っていた』ということだ思います。その苦闘の歴史は残す価値があるし、未来に伝えるべきものであると私は思っています。以前宴席である方から「いずれオフィシャルな立場でこうした仕事に取り組めるようになるといいね」と言って頂きました。そういう思いは私にもありますが、メーカー公認となると様々な制約と検閲がつきまといます。それでも尚オフィシャルとしてやれる強みも当然ありますが、現在は自由な視点にこだわって本を作っています。その自由な視点の中には遊び心も詰めていて、これって重要なことだと思っています。ゲームってそもそも遊びですからね、遊び心を忘れてはダメだと思っています。今後は公認下で同人誌を作る 可能性はあると思っていますが、現状はインタビューしたのにテキスト化してないものもたくさんあるので、とりあえず目先のものをどんどん形作って行きたいと思っています。
–最後にこのコレクター列伝を見てる読者にひと言お願いします。
テレビゲームの歴史を様々な角度から残していけるようにチャレンジしています。何処まで頑張れるかはちょっと解りませんが、動ける限りはテレビゲームの開発史を残して行きたいと考えています。私の本はBEEPさんでも取り扱って頂いておりますので、是非お手に取って頂けたら嬉しいです。まぁ堅い話もありましたけど、私自身はいたずら大好きの悪がきゲーム小僧でありますので、「何かこの人の本は難しそうだな」なんて敬遠されると悲しいので、自分が昔親しんだ作品に新しい魅力の再発見なんてあるのか?とちょっとでも気になれば是非お買い求め頂ければ幸いです。
–本日はありがとうございました!
聞き手 BEEP 小林
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